プロジェクトスポンサーの秘密 Feed

2008年8月17日 (日)

【補助線】成果、仕事、作業

◆あるメルマガ読者からの質問

お盆休みにあるメルマガ読者から次のような質問を戴いた。質問の中では、プライベートなことも含めて、いろいろなことが書かれているので、編集して、質問だけを再構成する。

定型業務で改善をすることが重要なのはよく分かる。しかし、プロジェクトにおける改善というのはどのような意味があるのか?改善によって本来の達成できないような作業を可能にするというのはそれなりに分かるが、それはリスクを伴うことであって、一概によいとはいえないのではないか?(実際はもっと柔らかい文面でした)

メルマガやブログに、

 カイゼンによって、通常はできない目標にチャレンジしよう

ということをよく言っているが、こういう受け止め方をされているのかと知ってちょっと驚いた。なぜ、このように受け止めるのかと考えていて、あることに思い当たった。

◆仕事と作業

仕事と作業の違いがあまりきちんと認識されていないのではないか?

話は変わるが、WBSの「work」という言葉は日本では仕事という意味でも使うし、作業という意味でも使う。このためか、若干、混乱しているように思える。

言葉の定義としては、仕事というのは、解決すべき課題に対して答えを出すことであり、仕事を成し遂げるための手段が作業である。たとえば、

・市場調査をし、商品の機能を設計する

というのは仕事である。これに対して、

・収集されたデータの指定された分析方法で分析する

というのは作業である。ここで注意すべきことは、仕事と作業の間にも仮説があることだ。たとえば、市場データを収集してこういう方法で分析しようというのは、その分析方法によって市場ニーズが抽出できるという仮説を持っているからだ。仮説がないのは定型業務であり、仮説があるのが非定形業務であるといってもよいだろう。

◆成果とはなにか?

さて、もう一つ、考える要素がある。成果だ。成果というのは仕事によってもたらされる。つまり与えられた課題をどの程度解決したか、言い換えると仕事の品質が成果である。ここにも仮説が重要な役割を持っている。

仕事をしてどれだけの成果を上げるかどうかは、この仮説の妥当性によるといってもよい。たとえば、上で引き合いに出した商品開発で、市場調査をしなくても商品を作って市場投入することはできなくはない。しかし、それでは期待する成果が得られないと分かっているので、市場調査という仕事を行うのだ。

WBSというのは成果、仕事、作業(ワークパッケージレベル)の仮説を作るためのツールである。

※仮説について勉強したい人はこちら

仮説を制す者はマネジメントを制す

◆プロジェクトにおける改善の考え方

さて、改善の話に戻る。

この構造を考えればわかるように、カイゼンには2つのレベルがある。ひとつは、作業レベルの改善である。仕事を行うために、できるだけ無駄なく、作業を組み立てられるように改善をする。ここでは仕事として設定された課題を効率よく解決することが目的であるので、基本的にはリスクは小さくなることはあって、大きくなることはあってはならない。
ここで作業時間が減るので、時間ができる。プロジェクトの場合、この時間の使い方が問題なのだ。どのような仕事を組み合わせれば成果が最大化されるか、この仮説を徹底的にブラッシュアップするためにこの時間を使わなくてはならない。

それによってはじめて、期待以上の成果を上げることが可能になるし、成果目標をストレッチしても実現が可能になる。

2008年8月11日 (月)

【補助線】プロジェクトマネジャーから、プロジェティスタへ

プロジェティスタという考え方が注目を浴びている。きっかけになったのは、この本だ。

野田 稔+ミドルマネジメント研究会「中堅崩壊―ミドルマネジメント再生への提言」、ダイヤモンド社(2008)

プロジェティスタはイタリアで存在している職業で、一言でいえば、中小企業がプロジェクトを実施するときに、そのプロジェクトマネジメントを引き受ける。これにはイタリア独特の背景がある。イタリアでは、95%以上の企業が従業員9人以下という中小企業で、中小企業の輸出比率は60%に達する。イタリア企業の全体としての強みは、各企業間で縦横に張り巡らされた水平ネットワークであり、ネットワーク環境で活躍し、ある意味でこのネットワークを支えているのがプロジェティスタという職業だというわけだ。

日本もイタリアと同じように中小企業産業を支えている国であるが、大企業がビジネス中核を担い、中小企業はそこに対して技術を中心に部分的なコミットをするという産業構造を持つ日本ではプロジェティスタは成り立ちにくい職業である。しかし、その発想は大いに参考になる。実際に、野田先生が提案されているのも、企業内において、ミドルマネジメントのロールとしてプロジェティスタを位置づけることである。

このプロジェティスタという形は、プロジェクトマネジャーのロールモデルとして非常に卓越したものではないかと思う。

PMIがPMBOKやPMCDF(Project Managemet Competency Development Framework)だけを提示していた時代は、プロジェクトマネジャーは独立性の強い仕事だという風に感じていた人も多いと思う。現に日本企業でPMBOKに関心を持った企業のほとんどはそのようなプロジェクトマネジャー観を持っていたと思われる。

しかし、それは米国においてもあまり現実的な姿ではなく、また、PMIの標準を見ていてもその後、プログラムマネジメントやポートフォリオマネジメントにおける標準、さらには、これらすべてを束ねるOPM3という組織成熟度の標準が登場するに当たってはだんだん、見え方もプロジェクトマネジメントは組織ぐるみで行うものだという方向に変わってきている。

つまり、ガバナンスのマネジメントをきちんとして、プロジェクトマネジャー、プログラムマネジャー、ポートフォリオマネジャーといった「ロール」に、「プロジェクトマネジメント」、「プログラムマネジメント」、「ポートフォリオマネジメント」という「ツール」を使ってプロジェクトを組織としてマネジメントしていくという合理的なマネジメントシステムを構築し、戦略実行をしていこうという考え方が明確になってきた。

このような価値観は、従来からある日本の価値観に合わない点が出てきている。大きな問題は2つあるように思える。ひとつは、プログラムマネジメントやポートフォリオマネジメントといった組織マネジメントが含まれてくる部分は日本型経営の強みであった。ここを標準化してしまい、競争の対象から外してしまうのは、あまりにももったいない。米国は違うが、日本企業はこの部分のマネジメントに付加価値の源泉があるからだ。

そもそも、なぜ、こういう話になっているかと考えてみると、戦略経営が必要だということに尽きる。では、なぜ、戦略経営かと考えてみると、これはいくつかの理由はあるが、最大の理由はグローバルな競争である。グローバルな競争のためには戦略が必要である。これは事実だと思う。

ただし、では、日本型の組織では戦略経営が成り立たないかというとそんなことはない。トヨタがなによりもそれを証明しているし、たとえば、京都には日本市場に関心を持たず、いきなりグローバル市場に出ていき、マネジメントシステムを構築している会社がいくつもあるが、そのような企業の経営を見ていても、日本型経営のスタイルで戦略展開している。要するにこの議論は、戦略を持つべきであるということだけが問題であるにもかかわらず、抱き合わせ販売のように戦略達成のマネジメントをそこに押し付けられているところにあるのは明らかである。

つまり、戦略を作り、戦略実行ができるのであれば、どのような形でも構わないことになる。

二つ目の違和感は、個人にとってのやりがいの問題だ。米国のマネジメントシステムはキャリアアップをし、たくさんの報酬を得ることを望んでいるという価値観を基本にしている。ゆえに成果主義がうまく機能する。余談だが、そこに飽き足らなくなってくると、社会起業のような活動を始める。

日本人はこれではおそらくやりがいを感じない。米国のような価値観を持っている人もいるが、その人たちも50歳くらいまでに価値観が変わることが多いようだ。では日本人は何にやりがいを感じるかというと、自分にとってのおもしろさであり、また、他人から感謝される(認められる)仕事である。従来から、生涯現役でいたいという人は多くいた。野田先生の著書の表現を変えると、生涯、一プレイヤーでいようという人だ。

ところが、成果主義の中ではこれは通用しない。野田先生の指摘するようにミドルまできて、プレイヤーである人はあきらめ感があるというくらい深刻な状況になっている。

ここでドロップアウトしたくない人は、マネジメントの仕事に入っていく必要がある。ところがマネジメントの仕事にやりがいを感じる人は多くないし、不安感のようなものがあるのだと思う。そこで、マネジャーではなく、プレイングマネジャーを目指す。

つまり、マネジャーの役割もするが、同時にプレイヤーという役割も果たすという人だ。部下を持ち、部下を使ったプロジェクトをいくつか同時にマネジメントするというスタイルで仕事をしているミドルマネジャーがこれだ。日本の企業が上に述べたように、日本型経営スタイルでなんとか戦略実行をできているのは、プレイングマネジャーの役割が大きいことも間違いない。

このようなスタイルで仕事をしている人は、野田先生が指摘するように「プロジェティスタ」に極めて近いし、逆に、プロジェティスタをロールモデル(手本)とすると自分たちの価値観を活かし、成果を上げることが可能になるのではないかと思われる。

以上のように考えてみると、プロジェティスタが日本の企業の中で普及していくことは、ミドルマネジメントが復活し、競争力をとり戻るために不可欠だと思えてくる。また、その意味で、プロジェクトマネジャーは次のステージとしてプロジェティスタを目指すというのがよいだろう。さらに、著者が「ひとつ上のプロマネ。」といっているものの、ひとつの実現イメージは間違いなく、プロジェティスタである。

ということで、しばらく、プロジェティスタというのを追いかけてみたい。

2008年4月25日 (金)

【補助線】ミドルマネジメントの復権

◆3つのマネジメントの重要性

ミドルマネジメントは、トップマネジメントが示した経営方針や経営目標に対して、自部門の目標を設定し、ロワーマネジメント(現場管理者層)を通じて一般社員に実行させる役割を持つマネジメントである。

欧米では、マネジメントの重要性として

(1)トップマネジメント
(2)ロワーマネジメント
(3)ミドルマネジメント

の順になっている企業が多い。これに対して、日本企業は

(1)ミドルマネジメント
(2)ロワーマネジメント
(3)トップマネジメント

の順になっている企業が多い。

Middle_2
◆連結ピンとしてのミドルマネジメント

特に、ミドルマネジメントはリカートのいう「連結ピン」として機能することにより、全体のパフォーマンスが高くするという重要な任務を果たしていると考えられていた。

これは経営制度や価値観の違いによるところが大きい。欧米はトップマネジメントが比較的細かな目標設定までするに対して、日本ではトップにそのような役割が求められて来なかった。その一つの理由に年功序列があると思われる。欧米の大企業のトップとしてバリバリに仕事をしているのは40代が多い。40代はおそらく総合的な意味での人間の情報処理能力が最も高く、経営細部にわたるマネジメントが可能だったと思われる。また、それを補佐する経営チームの導入も進んでいた。

これに対して、日本ではバブル前までは大企業のトップは50代~60代であり、70代のトップなども結構いた。いくら経営スタッフをつけてもこの年代のトップマネジャーに経営細部にわたる判断をするのは難しく、おのずとミドルマネジャーにその役割が移っていたのではないかと思われる。

◆ミドルの崩壊

ところが、バブル期を経て、右上がりの成長が止まるとこの状況が一変した。作っても売れなくなった。そこで、当時の経営トップはどういう行動に出たか?多くの企業は自分たちの立場は変えないために、成果主義を導入した。成果主義では、基本的に中間層は必要ない。トップマネジメントとロワーマネジメントさえしっかりしていれば、成り立つ制度である。

これに加えて、情報化の進展が重なり、急激に中抜き経営が進んでいった。ミドルマネジメントが崩壊していったのだ。つまり、マネジメントの重要性は米国と同じく、

(1)トップマネジメント
(2)ロワーマネジメント
(3)ミドルマネジメント

となってきたわけだ。

結果、何が起こったか?日本の強みであったはずの現場の崩壊であり、それによる経営そのものの弱体化である。現場力で勝ってきた企業は瞬く間に崩れ去っていった。

◆グローバル化か、ミドルマネジメントの再構築か

これらの企業がこれから2つのオプションを選ぶことになる。ひとつはグローバル化による経営の強化である。もう一つは、現場の再構築である。前者の典型例はソニーだろう。特に動きの激しい電子・情報の業界を中心にこれからもこの方向性を持つ企業は増えていくと思われる。問題は後者である。

社名を上げるのは控えるが、かなりの割合の企業が現場の再構築に取り組んでいる。開発力の再構築だったり、技術力の再構築だったりする。ところがあまりうまくいっているようには見えない。

これはそのような戦略を取るある大手メーカの役員に聞いた話だが、なかなかうまくいかなということと同時に、時代に逆行しているような感覚があると言っていた。

これはある意味で当り前である。ミドルマネジメントが機能し、現場も強かった時代とは経営環境が一変しているからだ。現場の再構築といっても、少なくともこの時代に戻すという選択肢はない。トップマネジメントが機能しないと方向性を見失ったままで、沈没してしまうような時代なのだ。ただ、この点は変わりつつあるといってよいだろう。

◆現場の再構築にはミドルマネジメントの再構築が不可欠

問題は現場を再構築するにはどうすればよいかということだ。これには、短絡的にロワーマネジメントに手を入れるのではなく、成果主義で失われたミドルマネジメントを再構築することが先決ではないかと思う。過去に現場が強かったのは、技術力とか、開発力とかいった力だけではなく、ミドルマネジャーのトップと現場の調整機能、部門間の調整機能や、これらを基盤にしたロワーマネジメントに対するリーダーシップなどの存在があったからに他ならない。

少しずつ変わりつつあるトップマネジメントに対応できるミドルマネジメントを再構築する必要がある。

このようなミドルマネジメントでキーになるのがプログラムマネジメントではないかと思う。特に、ロワーマネジメントにプロジェクトマネジメントが導入されているときには、プログラムマネジメントは強力なミドルマネジメントのツールになるはずだ。

◆おわりに

今回の話はここまでにして、最後にプログラムマネジメントの位置づけに対してコメントをしておく。PMIの標準ではプログラムマネジメントはロワーマネジメントとして位置づけられ、トップマネジメントとしてのポートフォリオマネジメントがあり、整合させるような構図になっている。これに対して、日本のP2Mではプログラムマネジメントをミドルマネジメントと位置付けている。この標準の位置づけを見ても、日米のミドルマネジメントの重要性の認識が違うのが分かる。

2008年3月21日 (金)

【補助線】スケジュールありきのプロジェクト

朝日新聞を見ていたら、また、道路工事予算の問題がでていた。

●国土交通省が所管する道路・街路関連の国直轄事業や補助事業のうち、02年度以降に完了・実施中の1176事業の過半数で、当初計画時より事業費が膨らんでいる。

●最終事業費が100億円以上にのぼる道路・街路関連事業は1176、判明した当初事業費の総額は約40兆6千億円。このうち当初事業費を上回ったのは597事業で、総額は約48兆4千億円(差額 7兆8千億)。

●当初の3倍以上に膨らんだのは21事業。理由は、「工場や病院、ガソリンスタンドなどの移転費用が増えた」「想定していなかったもろい岩質による崩落が発生した」など。用地補償費や工事費の見積もりが結果的に不十分だった。

●ひどい事例。青森県「白銀市川環状線」事業は完了が15年も遅れたうえ、当初の約24億5000万円が、5.8倍の約142億2000万円に。兵庫県主体の「阪神本線連続立体交差事業」は約152億8000万円が約839億8000万円に。

少し前に

計画されないプロジェクト
https://mat.lekumo.biz/ppf/2008/03/post-651a.html

という記事を書いたが、ここまでとは思わなかった。一応、工事積算基準、用地補償基準などはあるわけだから、ここまで来ると、費用対効果の数字を作るために、追加発注を前提にして当初見積もりを取っているのではないか?と疑ってしまう。

もっとも、仮にそうだとすれば倫理的な問題は感じるが、プロジェクトをコントロールできているという意味ではまだましかもしれない。これが無作為の数字であれば、事業者当事者としての能力に疑いを持たざるをえない。

前の記事でも述べたように、このような実態を作っている最大の原因は

 「スケジュールありき」

だろう。背景にあるのは、道路特定財源の設置当初からそうであったように道路が欲しいのではなく、工事がほしいという景気対策である。ゆえに、何が何でも計画通りに着手する。だとすれば、これでもまだ、よくやっている方だと言えなくもないか。

この構図は、企業のプロジェクトにもたくさん見られる。っていうか、これを裏返ししたのが、企業プロジェクトの実態だと考えてもよいだろう。道路工事を請けるゼネコンは、まったく準備ができていない状況で受注し、プロジェクトを走らせることになる。他の官庁でも同じだ。SI案件で予算だけつけて、仕様を決めないままで着手している例は少なくない。

あるSI企業では、内部調査で失敗プロジェクトの80%はスケジュールありきで実施していることがわかったそうだ。その大半は、「準備不十分なままで時計をスタートさせ、実質的に計画よりはるかに短い時間で完成させようとして品質の問題を起こしたか、納期遅れを起こした」だそうだ。

プロジェクトのスケジュールの要望は顧客が出すことが多いので、これを顧客側の問題に転嫁する人が多いが、実際に顧客の意見を聴くと、10年使うシステムで、10年間不適合で悩むよりは、1年カットオーバーが遅れる方がはるかにましだという意見が圧倒的に多い。

っていうか、要件定義ができないままでトラブって3年かかるよりは、プロジェクト開始を1年遅らせてでも要件を確定して、1年でやった方が、よほど早く、よいものができるだろうという短期的な話のような気もするが、、、

なんにしても、顧客側の問題だとかいって、ベンダーが言われたままで流されて、顧客ときちんと向き合った話をしていないだけだ。

つまり、スケジュールありきはほとんどは自分たちの事業成果(売上)の都合である。道路の比喩でいえば、サービスを提供することが目的ではなく、売り上げを上げることが目的なのだ。ゆえに、何よりもスケジュールが重要になる。国が景気対策で工事を作るのと、本質的に違いはない。

だからそんなプロジェクトのやり方は間違っているというほど、単純な話ではない。道路であれば政策の問題であり、企業であれば戦略の問題でもある。むしろ、問題なのは政策や戦略の中で成果に関する部分だけがひとり歩きしてしまって、その実現に必要な組織能力を持っていないことではないだろうか?実際に、道路についていえば、欧米の企業とはずいぶん生産性が異なるという話をよく耳にする。これは道路をつくる能力の違いだけではなく、労働政策とか、国土政策とか、総合的な政策の質の違いだと思われる。企業においても同じで、単にシステムを作る生産性の違いではなく、HRM、組織マネジメントなど、さまざまな要因がシステム構築の生産性に表れているように思う。

ここをなんとかしなくてはならない。

2008年2月21日 (木)

【補助線】なぜ、優秀なプロジェクトマネジャーが少ないのか

「ピーターの法則」という有名な法則がある。

4478760853人々はあるヒエラルキーのなかで、昇進していくうちに、いつか無能レベルに到達する傾向がある

という簡単な法則。

プロジェクトにあてはめて考えてみよう。

エンジニアとして非常に優秀であるものは、いずれプロジェクトマネジャーになる。そして、プロジェクトマネジャーとして優秀なものは、マネジャーに昇進していく。マネジャーとして優秀なものはシニアマネジャーに昇進する。

一人の社員のキャリアをみれば、プロジェクトマネジャーとして無能であれば、マネジャーに昇進することはなく、プロジェクトマネジャーで昇進が止まる。マネジャーに昇進したものがマネジャーとして無能であればマネジャーで昇進が止まる。シニアマネジャーに昇進したものが無能であればシニアマネジャーで昇進は止まる。

結果として、プロジェクトマネジャー以上の役職には、無能な人材が多くなる。

エンジニアの中でプロジェクトマネジャーになるのが80%、プロジェクトマネジャーの中で課長級になるのが40%、課長級の中で部長級になるのが30%とすれば、プロジェクトマネジャーの60%は無能なままにプロジェクトマネジャーを繰り返し担当することになる。プロジェクトスポンサーは課長だとすると、プロジェクトスポンサーの70%は無能なままにプロジェクトスポンサーを行うことになる。

ピーターの法則の生みの親であるローレンス・ピーターは風刺として書いていると述べているが、たくさんの優秀なエンジニアを抱えた組織にほとんど優秀なマネジャーがうまれないという現実を見ると、あながち的外れとはいえない。

もちろん、組織としてもこれに対して無対策ではない。ひとつはプロジェクトマネジャーのキャリア認定制度である。有能なプロジェクトマネジャーはプロジェクトマネジャーを卒業していくという事態を防ぐために、課長級のプロマネ、部長級のプロマネなどのキャリアを準備している。役員待遇のプロマネがいるような組織もある。

この制度が有効なのは優秀なプロジェクトマネジャーの確保ができるだけでなく、優秀なプロジェクトスポンサーを確保することもできることだ。課長級や部長級のプロマネはプロジェクトスポンサー的な役割を自身で果たすこともでき、無能なプロジェクトスポンサーによりプロジェクトがピンチに陥るのを避けることができる。

また、プロジェクトスポンサーについても、優秀なマネジャーのみに集中して行わせるようにしている。これもピーターの法則回避への対策だろう。

さらに、これはある大手企業で事業部長から実際に聞いた話だが、重要なプロジェクトについては、優秀なプロジェクトスポンサーと無能なプロジェクトマネジャー、あるいは、無能はプロジェクトスポンサーと有能なプロジェクトマネジャーの組み合わせと意図してやっているという。本当は有能タッグを組ませたいのだが、そこまで人材育成ができていないという。

プロジェクトスポンサーもプロジェクトマネジャーも、優秀であるという前提でものごとを考えてみても仕方ないということだけはいえそうだ。

では、どうすればよいのか?本を読んでみてほしい。

ピーターの法則」、ダイヤモンド社(2003)

2008年2月 8日 (金)

【補助線】「安全」はプロジェクトマネジメントの中でどう扱われているか?

◆ITプロジェクトには安全の問題はないのか?

この2~3年、ずっと気になっているのが、この問題だ。なぜ、気になりだしたかというと、ITプロジェクトを中心に発生しているメンタルヘルスの問題。

ITプロジェクトにかかわっている人に安全というと、建設のプロジェクトとかで工事の安全の問題だという風に矮小化して考える人が多いのだが、この認識は正しくない。そもそも安全の問題とは、労働安全衛生の問題であり、「健康問題」、「労働災害」、「快適職場づくり」など、すべての問題を含む。

Photo_2つまり、この2~3年、問題視する企業が増えているメンタルヘルスの問題は、「安全衛生」のもっとも重要な課題の一つだというのが一般的な認識である。

この「安全」の問題はプロジェクトマネジメントではどう扱えばよいか?

僕はプラント工事などの現場の現場の経験もあるが、仮に、ITプロジェクトのような人の働かせ方を工事現場でしていたら、とんでもない話だとしてすぐに改善勧告が入るだろう。

◆プロジェクトの安全管理パターン

通常、工事系のプロジェクトの現場では、「安全管理体制図」がつくられる。これは2つのパターンがあり、社内の投資工事などでは通常、ラインでプロジェクトを推進していくので、組織体制が反映された安全管理体制になる。この場合は、プロジェクトマネジャーが安全管理責任者になるよりは、そのプロジェクトスポンサーになるラインマネジャーが安全管理責任者になるケースが多い。

これに対して、発電所を作るといったオンサイトのプロジェクトでは、顧客側の安全管理体制があり、そこに組み込まれるような形でプロジェクトの安全管理体制を構築する。プロジェクト作業に伴う安全管理についてはプロジェクトの中で見ているわけだ。安全上の問題が発生すれば、プロジェクトの中で自律的に処理される。

◆PMOにメンタルヘルス活動はできない

ITプロジェクトでは、一見、前者の安全管理が行われているようにも見えるが、実際にはオンサイトのプロジェクトが多く、機能していないケースが増えている。そこで、プロジェクトの問題だからということでPMOにおハチが回ってきている組織が多い。

これはむちゃくちゃな話である。経営組織はコンプライアンスと安全衛生については必ずガバナンスが必要である。つまり、この2つの観点から従業員が正しくない行動をしたときに、それを権限を以て強制的にやめさせることができる必要がある。これができないと経営しているとはいえない。

実際にコンプライアンスでは、これまでガバナンスをあいまいにしてきたため、いろいろな問題が噴出している。米国であれば、株主訴訟で企業がつぶれてもおかしくないような事例がいくつもある。

従業員の安全衛生の問題もコンプライアンスと同じくらい重要な問題である。たとえば、従業員が無理をして労働をしようとした場合には、それを強制的に止める機構がなくてはならない。

これは従業員のためだけではなく、常に最高の品質の商品を提供するためでもある。つまりは、従業員と組織のWin-Winの関係を維持するためでもある。

◆安全衛生管理は誰がすべきか

このように考えると、安全衛生は、組織から正当な権限を委譲された人が管理すべき問題であり、これはプロジェクトの業績に対する責任を持つ人でもある。PMOがそのような立場にあることはレアケースだろう。

SIプロジェクトでいえば、顧客に実施体制を示すが、普通に考えると、これが「安全管理体制」である。

百歩譲って、上位管理者が明確に権限を委譲するわけでもなく、プロジェクトの成果責任をプロジェクトマネジャーに丸投げすることは仕方ないとしても、安全管理に対する責任を丸投げするような上級管理者は即刻、辞表をだすべきだろう。

特にSI業界では、この問題は深刻である。

プロジェクトの常識になりつつある、「リソースを渡さない」、「結果を求める」まではいいとしても、そこに、「メンバーの安全衛生管理の責任を持て」という三重苦になると、多くのプロジェクトマネジャーは音を上げてしまうのではないだろうか?

また、これが「改善しない」温床になっていることも事実だ。

長くなってきたので、プロジェクトが自律的に安全衛生を管理するときには、どのように考えて行うべきかは別の機会に譲る。

2008年1月10日 (木)

【補助線】失敗の回避はゼロサム、プラスサムにしてこそプロジェクトマネジメント

◆コーエン&ブラッドフォードモデル

今日、コーエン&ブラッドフォードの「Influnence without Autohrity」を日本に紹介され、ビジネスの展開をされている高嶋成豪さん、高嶋薫さんにお会いした。2時間弱のディスカッションだったが、有益な時間を過ごすことができた。

アラン・コーエン、デビッド・ブラッドフォード(高嶋薫、高嶋成豪訳)「影響力の法則―現代組織を生き抜くバイブル」、税務経理協会(2007)
https://mat.lekumo.biz/books/2007/12/post_df63.html

コーエン&ブラッドフォードが提唱している影響力の法則は

法則1:味方になると考える
法則2:目標を明確にする
法則3:相手の世界を理解する
法則4:カレンシーを見つける
法則5:関係に配慮する
法則6:目的を見失わない

の6つを順に回していくモデルだが、今日はひたすら法則1に話題が集中した。実は、この本が出てから、何度か、コーエン&ブラッドフォードのモデルをセミナーや講演で紹介したことがあるが、やはりこの部分に反応する人が多い。

◆敵になると思うから敵になる

多くの人は、ステークホルダに対して、敵だという先入観を持って接する。そうすると、自分たちが望んでいるように動いてもらうことはほぼ絶望的になる。セミナーでうなずいている人はたぶんそのことを実感している人だと思う。

なぜ、そんなにネガティブにものごとを考えるかということが問題だ。答えは一つ。

失敗したくないからである。プロジェクトを失敗させないためにプロジェクトマネジメントをやりだした組織は、ステークホルダをリスク要因だと考える。そして、言葉は悪いが、「足を引っ張られないためにはどうすればよいか」をひたすら考えるのだ。

心情的にはよく分かるのだが、このような発想パターンはジレンマだと思う。どんなプロジェクトでもステークホルダとの信頼関係を構築でき、ステークホルダの協力が得られれば失敗確率は劇的に少なくなるだろう。失敗したくなければ、これが正道だ。

ところが、失敗したくなければないほど相手を信頼できるハードルは高くなる。すると相手が中立的でも敵に見える。人間同士、付き合い方によって味方にもなれば、敵にもなる。敵だと見なされれば、そのプロジェクトに対して中立的な立場だった人が敵になるのは当然のことだ。結果として敵を増やすことになり、失敗の原因を作ることになる。

このジレンマを解消する答えはどこにあるのだろうか?

ここで重要な考え方はプラスサム(WinWin)だ。ゼロサムであれば、敵でも味方でもないステークホルダは敵だというのは間違いではない。しかし、プラスサムを目指すとすれば間違いである。

◆失敗の回避はゼロサム、プラスサムにするのがプロジェクトマネジメント

ここでよく考えてほしいのは失敗を回避するというのはゼロサムにすぎないということだ。

プラスサムにするというのはどういうことか。失敗を回避するのではなく、すべてのステークホルダが満足する結果を出すということだ。つまり、ストレッチされた目標を達成することだ。

プロジェクトであるので多少の差はあるにしろ、計画段階では目標に対して合意はできているはずだ。ところが、ゼロサムの発想で作られた目標のほとんどは不安定なバランスである。みんながぎりぎりの譲歩をし、三方一両損で、なんとか合意しているケースが多い。そのため、ちょっと計画からずれると瞬く間にバランスが崩れて、利害対立が起こる。

このような状況を回避するには、当初の合意の方法を変えるしかない。ゼロサムの三方一両損ではだめなのだ。目標を上げることによってプラスサムにするしかない。

たとえば、IT業界ではプロジェクトの失敗率が上がったというのが定説になっている。それはそうかもしれないが、顧客、プライム、ベンダーの範囲でプラスサムになっている気配はない。二次受け、三次受け、派遣契約、挙句の果てはオフショア、あくまでもゼロサムでなんとかしようと考えている。サルティナブルではないなあ。。。

2007年12月15日 (土)

【補助線】角を矯めて牛を殺す

◆最近のプロジェクトの特徴

最近のプロジェクトによく見られる課題がある。

・スケジュールにチャレンジ要素がある
・リソースにチャレンジ要素がある
・仕様があいまいである
・新しい技術へのチャレンジにより、技術的不確実性がある
・今まで全く知らない人とチームを作って取り組む
・チームが分散している
・プロジェクトの中間的なスコープが変化する
・・・

などだ。このような課題がまったくないプロジェクトは珍しいだろう。

米国では、こういった課題のプロジェクトに対して、PMBOKに代表されるような「確定的な」プロジェクトに対して有効なマネジメントが本当に有効なのだろうか?という議論がある。アジャイルプロジェクトマネジメントやライドブレーンプロジェクトマネジメントといった手法が登場してきている。

◆手法ありきの傾向が強い日本

ところが、日本の企業をみていると、このような要素を含むプロジェクトに対して、PMBOKを適用するには何をすればよいかを考えている組織が多い。もちろん、手法を導入するというのはそういうことだから、頭ごなしにそれが悪いということではない。

問題はバランスである。

PMBOKは基本的には上位組織がプロジェクトを「管理」するには、プロジェクトはどのようにマネジメントされていればよいかという発想で作られている。しかし、すべてを管理しようとしても定型業務ではないのだから難しい。そこで、与える権限を明確にして、権限委譲をするようになっている。これに使われるツールがたとえば、プロジェクト憲章である。

ただ、権限委譲というのはそんなに簡単にできることではない。任せるだけであれば「丸投げ」ということで簡単だが、多くのプロジェクトはプロジェクトマネジャーやプロジェクトのエンパワーメントをしなくてはうまくいかない。

結果として、プロジェクトマネジメントを導入してもうまくいかなかった。その分析をしてみると、明らかになったのが冒頭に述べたようなプロジェクトではうまくいっていないという現実だった。

◆2つのアプローチ

ここで多くの組織は2つのアプローチをとることにした。ひとつはこのようなプロジェクトに対応できるようなプロジェクトマネジャーの育成である。一言でいえば、コンピテンシーやヒューマンスキルを持ったプロジェクトを育成しようとした。これは、今でも盛んに行われているが、そんなに短時間でできるものではない。

そこで現実策として出てきたのが、組織のマネジメントによりプロジェクトの性格を変えてしまうことだった。まず、リスクマネジメントと称して、チャレンジ要素を最小限に抑えてしまう。これがもっとも多い。また、不確実性の回避として、ゲート(レビュー)を設けたフェージングを導入した組織も多い。さらにはスコープマネジメントとして、変更管理を中心に行うのではなく、変えないということを前提にした運営を始めている組織も少なくない。

つまり、プロジェクトを定型業務化する方向に走っている。この効果は大きい。プロジェクトの失敗が減ってきた。

◆弊害と対策

これだけであれば、ハッピーエンドなのだが、弊害も見られるようになってきた。競争力の低下だ。商品の機能を落としてみたり、SIサービスの顧客満足を低下させるということがかなり、目につくようになってきた。もちろん、クオリティとチャレンジのどちらが組織の競争力になるかは事業の性格や組織文化によって異なるので、チャレンジをあきらめたすべての組織がそうなっているというわけではないが、競争力を落とすというのが特殊ケースという状況でもない。

この問題の根底にあるのがスポンサーシップである。スポンサーが管理主義に陥ってきて、市場や顧客のニーズに十分な対応するものができない組織が増えてきた。結果として、そんな仕事に対してやりがいを見失っている人も少なくない。

こうなってくると、PMBOKの適用だという話ではなくなってくる。明らかにバランスを失い、手法に合わせて業務を変えるという状況になってくる。

このままでいくと、角を矯めて牛を殺すことになりかねないことをよく認識しておく必要がある。

2007年12月 5日 (水)

【補助線】プロジェクトマネジャーの現場力

◆昔の日本企業の現場は本当に強かったのか?

「現場力」という言葉がある。正確な定義があるわけではないと思うが、「現場が強い」、「現場で会社が成り立っている」などの言霊のある言葉だ。

戦後の高度成長の中で、日本企業は一般的に現場力により成長してきたと認識されている。おそらくこれは、明確な戦略がない中で、現場が方向性を決め、それを次々に実行していくことにより、成長してきたことを指していると思われる。

この背景になるのが、「よいものを作れば売れる」という神話である。ここで、考えておかなくてはならないのは、高度成長期は本当に現場が強かったのかということだ。少なくともこの時代の日本人は勤勉だったし、工夫をする心にも富んでいた。これは間違いないと思う。その意味で現場が強いというのであれば、それは正しいだろう。この点については後でもう一度、触れたい。

◆戦略経営における現場力

その日本にも、戦略に基づく経営という考え方が取り入れられるようになってきたのは、おそらく90年代の前半である。この時期は、バブルの崩壊とともも、右肩上がりの成長も停滞し、それまでのようにみんなが同じことをやっていたのでは、全員が立ち行かなくなるという危機感がでてきた時期だ。まず、立ち上がったのは製造業だ。現在、エクセレントカンパニーの地位を確立している企業は間違いなくこの時代に戦略的な経営に移行している。そして、やはり、「強い現場」、「現場力」が成功のキーワードになっている企業が多い。今のエクセレントカンパニーの戦略の3大成功要因は、情報技術、金融技術と現場力だろう。そして、日本の企業は現場力を競争優位源泉とする企業が多い。

では、戦略経営の中での現場力とはなんだろうか?戦略経営の中では、高度成長期のような現場の自由度はない。その中で、現場力が強いとはどういうことか。

現場力は、「あるべき姿」=ビジョンに対して、策定された戦略を微調整しながら業務を進めていく能力である。あるいはこのために、現場で起こる問題(あるべき姿と現状のギャップ)を能動的に発見し、解決する力である。

◆リアルタイム経営のためにはプロジェクトの現場力が不可欠

戦略経営においては、戦略の精度を上げるためにだんだんモニタリングのスパンが短くなってくる。今は最低でも四半期で戦略を見直し、軌道修正をしている企業が多い。ただし、現実問題として考えると四半期というスパンが限界だろう。

そこで注目されているのが、プロジェクト経営とプロジェクトマネジメントなのだ。四半期より短いサイクルで戦略の修正をするためには、開発や販売などの業務をプロジェクト化し、現場としてのプロジェクトにその軌道修正の役割をゆだねるしかない。プロジェクトマネジメントの要素にはアカウンタビリティの確保があり、修正行動への介入は難しいとしてもモニタリングは可能であることも経営としては好都合である。現場の状況を見ながら、次のクオーターの戦略計画の微調整を行うことが可能になるからだ。

このように考えてみると、プロジェクトに要求されるのは、立ち上げ時の計画通りに行うことではない。自ら、プロジェクト環境を察知し、それに合わせてプロジェクトの計画を変えていくことである。この適応能力こそがプロジェクトマネジャーに求められる現場力である。

◆プロジェクトマネジャーに求められる現場力

では、現場力を持つためにプロジェクトマネジャーに求められるものは何か?以下の5つである。

(1)経営ビジョンの共有
(2)戦略の理解と把握
(3)戦略の計画への落とし込み
(4)ビジョンに照らし合わせた計画の問題点の発見
(5)計画調整による戦略の微調整

特にプロジェクトマネジャーの方にはよく考えてみてほしいのだが、これはある程度の経営的意思決定を行う仕事なのだ。

つまり、プロジェクトにおいてはプロジェクトのメンバーまで戦略実行の一端を担っているという意識が必要であり、メンバーにそれを指導していくのはいうまでもなくプロジェクトマネジャーの仕事である。

2007年11月29日 (木)

【補助線】シャープの液晶事業を生み出した5つのスポンサーシップ

◆佐々木正と和田富夫

電子・情報分野のエンジニアであれば、佐々木正の名前を知らない人はいないのではないだろうか?富士通の役員からシャープに転身し、電卓のIC化で偉大な業績を上げ、シャープの事業基盤を作った一人と目され、副社長まで務めた人物だ。社外においても、世界最大の学会IEEE(The Institute of Electrical and Electronics Engineers,Inc.)において日本人としては5人目になる名誉会員を授与されるなどの評価を受け、また、さまざまな公的機関の役職を務めてあげている。近年では、ソフトバンクの相談役として、孫正義社長の後見人的存在になり、注目された。

その佐々木正がシャープの液晶事業でも大きな役割を果たす。

シャープの液晶事業の基盤作りを担ってきたのは、和田富夫というエンジニアである。和田はEL(エレクトロルミネッセンス:電圧をかけると蛍光を発行する無機体。一時、ブラウン管の代替技術として本命視された時代があった)による液晶テレビの開発プロジェクトに取り組んでいた。

しかし、なかなか、うまくいかず、プロジェクトは解散し、プロジェクトメンバーは左遷される。和田も技術管理部の配属になり、現場を離れて技術者の裏方仕事に従事することになった。

◆液晶にみたビジョン

それから3年、技術管理の仕事にも慣れてきたころ、夕食をとっていた和田は運命の出会いをする。「世界の企業 現代の錬金術」というドキュメンタリーで、RCAの液晶技術の開発を知る。いてもたってもられなくなった和田は、当時の産業機械事業部長である佐々木に液晶に関するレポートを上げる。あきれながらとりあえずレポートを受け取った佐々木は、サポートを読むや否や、RCAに連絡を取る。そして、表示速度が遅いため、実用に堪えないという情報をRCAから得る。

しかし、和田はあきらめない。こうすれば表示速度の問題が解決するというのを延々と佐々木に説明する。ついに、佐々木は和田に、「一線の技術者は出せない、実用化できなければ解散」という2つの条件で、開発を許可する。和田は背水の陣で、社内で協力してくれるエンジニアを自分で探す。また、人事に頼み、新入社員を配属してもらう。この一人が大学で有機化学を専攻していた船田文明だった。和田は、しばらく様子を見て、実験計画をすべて船田に任せる。

◆電卓の鬼

さて、当時のシャープの主力製品は佐々木が先鞭を付けた電卓であった。電卓においては、電卓の鬼とまで言われた鷲塚諫が大成功をおさめてトップシェアを誇っていたが、カシオの追い上げに、泥沼の価格競争に陥っていた。電卓の課題は電力と小型化だった。それに対して、両陣営とも画期的な策はなく、価格競争に陥っていたのだ。鷲塚は、コスト競争に終止符を打つ切り札を探していた。

この状況を見て、和田は、鷲塚に電卓の表示装置に液晶を使うことを提案する。しかし、その時点の技術では、あまりにも遅くて使えない。また、長時間連続使用により化学反応で気泡が生じるという問題もあった。

電卓のニーズにこたえるために頑張っていた船田が世紀の大発見をする。電圧を交流にすることにより、画期的に表示スピードが速くなり、かつ、気泡も生じないのだ。意気込んで電卓部隊に提案するも、電卓の表示装置は直流で設計されており、全面的な設計変更になるという理由で見送りになった。

◆液晶が電卓を救う

和田は気落ちすることなく、時計、電子レンジなどが、さまざまな応用先を探して奔走した。一方で、鷲塚は断ったあとも、不毛なコスト競争への対処に迷いに迷う。そして、ついに、液晶の採用を決断した。結果として、この判断が社を救うことになる。交流への設計変更をした電卓を開発しているうちに、ライバルのカシオが「カシオミニ」という電卓史上に残る商品を発売した。シャープが直流で考えていたレベルでは価格的にも、サイズ的にも到底太刀打ちできないような商品で、家計簿などのニーズを取り込み、電卓はビジネス用途から一挙に市場を広げる。同時に、トップシェアもシャープから奪い去っていった。

シャープの液晶電卓もなんとかめどがついてきた。価格を下げることなく、消費電力を下げることによって、電池代がかからなくなり、ライフサイクルコストで勝てる見込みが立った。

◆独断発注と事後承諾

いよいよ生産である。しかし、社内には反液晶の逆風が強く、なかなか、ラインを立ち上げられない。完成期限まで4か月を切った。生産装置の提案を依頼していた日本真空技術に、3か月で開発を頼むが、営業担当者には無理だと断られる。そこに先方の副社長が現れ、その場で契約するなら引き受けると譲歩する。まだ、決済などされていない。

和田はここで、首を覚悟で契約書にサインをした。会社に戻った和田は、当時、専務になっていた佐々木に、「独断発注してきた」と告げる。これを聞いた佐々木は「俺が佐々木の事後承諾を取る」と答えた。

約束通り、生産機械は3か月後に届き、無事に、液晶表示器の生産のラインが立ち上がる。シャープは、カシオからトップシェアを奪い返した。

これが、「液晶のシャープ」の始まりである。ちなみに、電卓の鬼といわれた鷲塚は液晶を取り入れる戦略を推進する旗頭になる。和田は不幸にも脳梗塞に倒れるが、液晶への執念からよみがえり、液晶のエンジニアとしての仕事人生を送った。

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好川哲人

技術経営のコンサルタントとして、数々の新規事業開発や商品開発プロジェクトを支援、イノベーティブリーダーのトレーニングを手掛ける。「自分に適したマネジメントスタイルの確立」をコンセプトにしたサービスブランド「PMstyle」を立上げ、「本質を学ぶ」を売りにしたトレーニングの提供をしている。