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2021年6月15日 (火)

【コンセプチュアル講座コラム】「地があって図を描く」から「図があって地ができる」へ

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◆階差機関から分析機関へ

ウォルター・アイザックソンの著作に「イノベーターズ 天才、ハッカー、ギークがおりなすデジタル革命史」(講談社、2019)という書籍があります。日本語版では、2冊に分かれていますが、この中に、エイダ・ラブレスという英国人の女性の話が出てきます。彼女は科学に強い関心を抱き、勉強し、英国人の数学者チャールズ・バベッジとともに今日のコンピューターの基本的な考え方をまとめた人です。

バベッジは日本でも有名なのでご存知の方も多いと思いますが、対数や三角関数などのエンジニアリングに必須の計算の自動化・単純化に取り組み、その結果、「階差機関」と呼ばれる装置を生み出しました。この装置は、複雑な数列を、差分、差分の差分、差分の差分の差分という作業を繰り返すことにより単純化できるというものでした。この装置に使われていた部品は、歯車のようなもので、それを動かすことにより、数字を入力し、記憶させ、隣の桁から借りることもできるものでした。

ある日、バベッジはフランス人であるシャカードが発明した自動織機に出会います。自動織機は、パンチカードによって織機を動かし複雑な図形を描くことに成功した機械です。バベッジは階差機関においても、歯車ではなく、パンチカードを使うことによって異なる種類の作業を次々に処理できることに気づき、実現していきます。


◆分析機関はあらゆる記号を処理する

この機械は分析機関と呼ばれましたが、ラブレスは分析機関は単に決まった演算を計算する計算機ではなく、パンチカードを使うことによってあらゆる記号を処理することができるものと考えました。そして、広く物質の動作と抽象的な精神の作用を橋渡しするものだと説明したのが、アルゴリズムの概念の始まりだと言われています。

この発見の凄さがどこにあるのでしょうか。「イノベーターズ」では、パンチカードを使うということを発見したことに重点が置かれているように見えます。確かに、パンチカードを使うようにしたことは画期的であり、また、織機という別の分野の技術にヒントを得ているということで、見事なオープンイノベーションでもありました。ちなみに、これまた、日本でもよく知られるアラン・チューリングがテープにプログラムを書き込むという発想をしたのは、バベッジから100年後のことですので、その意味でも、非常に卓越した発見であったことは間違いありません。


◆デジタル化の本質

しかし、本当にそれだけだったのでしょうか。デジタル化の時代の今、パンチカードははもちろん、テープも使われていません。つまり、パンチカードを使うという具体的なモノの発明は本質ではなかったのです。いま、デジタルが実現しているものは「なんでもあらゆる処理ができること」ことです。これを初めて実現したのが分析機関だったわけで、これこそが画期的な発明だったのです。

これは、ラブレスが指摘したとおりで、広く物質の動作と抽象的な精神の作用を橋渡しすることにバベッジの発明の本質があったと言えます。

そして、これがクロード・シェノンの「ゼロとイチを使えばなんでも解ける」という発見につながっていきます。シャノンといえば、コンピュータに電気回路を使うモノの発明で知られていますが、歴史的には「ゼロとイチを使えばなんでも解ける」という発見の方が価値があったのです。

さらに分析機関の発明の延長線上に、シャノンの通信理論、つまり、メッセージと具体的な意味を切り離して抽象化して、単純な記号の連続だと捉えるという方法の源泉があります。

このように、発明においては、具体やモノに焦点が当たり、賞賛され勝ちですが、歴史的にみて、本質的な価値があるのは抽象的な側面であることが多いのです。


◆日本人と日本企業の発想

日本がデジタルで苦戦している理由はここにあると思われます。つまり、現物、現場、モノなどの具体にとらわれすぎ、

「単純な仕掛けで目の前にないものも含めて何でもできる」

というデジタル化の考え方に頭がついていかないのです。

そして、高度成長はデジタル技術の進化とともに衰退してしまった感があります。それを示す顕著な例が、東京大学未来ビジョンセンターの西山圭太客員先生が、著書「DXの思考法 日本経済復興への最強戦略」(文藝春秋、2021)の中で述べられているので、紹介しておきましょう。


◆ビジコンとインテルの事例

あまり知られていませんが、かつてビジコンという企業がありました。計算機の小型化で、カシオなどと競っていた企業です。ビジコンは、マイクロチップを使って従来にない小型卓上計算機を実現しようとし、設計を完成させます。

しかし、マイクロチップを生産する能力はなかったため、1969年に創業したばかりのインテル社に話を持ちかけました。ここで、ビジコンは12種類のマイクロチップの生産を依頼しようとしたのですが、インテルは種類が多く、複雑すぎると考えました。

そこでインテルはビジコンの設計図ではなく、ビジコンが計算機に実装しようとしていた計算プログラム、アルゴリズムに注目します。そして、一部の機能をソフトウエアに移した上で、12種のチップのうち、9種を一つの汎用チップで実現したのです。

つまり、インテルはビジコンの要望を単純化するだけではなく、ビジコンの計算機以外でも、あるいは計算機以外の電子機器の機能にも対応できるに違いないと考えたのです。そして、依頼のあったマイクロチップの納入価格を下げる代わりに、汎用マイクロチップの権利を取得し、ビジコン以外にも権利を販売して成長したのは誰もが知る通りです。


◆日本が立ち直るには

この例は、日本の企業がデジタル化の本質についていけず(見誤り)、アナログ時代の価値観、つまり、現物、モノに拘ったことで衰退してきたことを示すよい例でしょう。日本が再び成長をするためには、抽象化、一般化に代表されるコンセプチュアルな発想ができる人材と組織を創っていくことが不可欠だと言えます。

具体だけではなく、抽象的にも物事を考えることに意味があると感じる人は増えています。しかし、抽象化の意味、つまり、

「目の前にないものも含めて何でもできてしまう」

を実感している人はあまり多くないように感じます。組織の文化としても、はやり、目の前にあるものが大切だという考え方が圧倒的に多いのです。

では、このような方向に人材や組織を変えていくために何をすればよいのでしょうか?


◆「地があって図を描く」から「図があって地ができる」へ

これについて、西山先生が適切な表現をされています。それは、日本の企業の文化は

「地があって図を描く」

という発想ですが、デジタル時代に必要なのは、

「図があって地ができる」

という発想だという指摘です。

この代表はGAFAでしょう。従来、企業は業界で分かれて、棲み分け、競争をしてきました。コングロマリットと呼ばれる複数の業界にまたがって事業展開をする企業もありますが、事業ごとにみるとやはり、ある業界の中での競争でした。これは、業界があり、その業界で何をするのかという発想です。つまり、地は業界であり、そこで展開する事業が図だったわけです。

この構図を崩したのはGAFAでした。GAFAは。業界を気にせずに事業を展開していきました。これが図です。

アップルはパソコンの事業とスマートフォンの事業で二度もこれを実現しています。そして、パソコンでも、スマートフォンでもゆるがない世界、つまり地を作っています。パソコンにおいて、ハードとOSを提供できているのは、アップルだけだというのが象徴的だといえます。

近年、自動車への参入が取りだたされていますが、これは自動車業界と関係なく自動車の事業を展開していくのは、アップルだと考えている人が多いからでしょう。

グーグルやフェイスブック、アマゾンについては、誕生した当時には何をやりたいのか分からないと言われていました。しかし、成長し、グーグル、アマゾン、フェイスブックというのは、いまでは業界に変わる代名詞に近くなっています。彼らの活動を中心にして、競争が起こっていますし、ある種、棲み分けもされています。まさに、図があって地がてきているいるのです。

このように、デジタルの世界では、図から地を創ることが本質だと思われます。この話はまた、別途したいと思います。

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好川哲人

技術経営のコンサルタントとして、数々の新規事業開発や商品開発プロジェクトを支援、イノベーティブリーダーのトレーニングを手掛ける。「自分に適したマネジメントスタイルの確立」をコンセプトにしたサービスブランド「PMstyle」を立上げ、「本質を学ぶ」を売りにしたトレーニングの提供をしている。