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◆借りてきて安くつくる
今回はちょっと視点を変えた議論をしてみたい。
イノベーションの実行を阻んでいると思えるものの一つに「借りる」文化がある。「思考の整理学」で有名な外山 滋比古先生が「思考力」(さくら舎、2013)という本の中で、こんな指摘をされている。ちょっと長くなるが引用させて戴く。
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新しいものをつくる力がないので、よそのものを借りてきて安くつくる、中国や韓国がいまやっていることを日本はやってきた。(中略)。いま、日本が困っているのは、借りるものがなくなってきたことだ。借りたものをつくるにしても、効率が悪いから、国内には工場ができない。つまり、日本において「借りる」限界がきたのである。このへんで自前の仕事がどこまでできるか、真剣に考えなければいけないのに、依然として、どこかによい技術があればそれを導入する(借りる)ことばかり考えている。(p73-74)
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いわゆるコピーキャット論である。
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◆戦略とイノベーションの本来の位置づけ
これまでも何度か、戦略実行とイノベーションは同じことを言っていると書いてきた。今回は、これについてもう少し、詳しく論じる。
まず、戦略とイノベーションの本来の位置づけは、戦略実行において必要なイノベーションを実行するというものである。たとえば、向こう3年間で30%の売り上げを伸ばすという経営計画を立てたとしよう。この30%を実現する戦略を作るわけだが、たとえば、生産台数を増やす、派生製品数を増やす(製品強化)、営業マンの人数を増やす(営業力強化)、チャネル数を増やす(チャネル強化)といった戦略を作る。
このような既存の方法で量を増やす戦略だけで十分でなければ、いよいよ、イノベーションの登場となる。新しい技術を開発し新技術を売りにした製品を開発する、これまでとはコンセプトもターゲットも異なる製品を開発する、既存の製品のターゲットを変える、製品を組み合わせて新しい製品として販売していくなどさまざまな方法がある。
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◆変化に対応する
コップに半分入った水をみて、まだ、半分も残っていると思う人もいれば、もう半分しか残っていないと思う人もいるように、変化の渦中においてチャンスだと思う人もいれば、ピンチだと思う人もいる。
経営者は盛んに時代に取り残されないようにしようといって社員にはっぱをかけるが、こういう企業ではイノベーションは生まれにくい。変化に対して、なんとか自分たちの顧客や市場ポジションを守ろうとするからだ。
最近の例でいえば、スマートフォンだ。NTTドコモはガラケイと呼ばれるフューチャーフォンをスマートフォンに置き換え、ガラケイと同じことができる環境を作ってしまった。フューチャーフォンの時代から、スマートフォンの時代に変わったという認識があり、それに対応しなくてはならないと思ったわけだ。そして、その方法として、新しい器に古い酒を入れて、出したわけだ。
iモードはフューチャーフォンでは非常に優れたシステムだと思うので、iモードで学んだことを使って、スマートフォンへの対応をしていけばiPhoneとの戦いも別の形になっていたかもしれない。
時代の変化に対応しようとするとどうしてもこういういまあるものをどのように適応させるかと考えるパターンが増えてくる。問題への対処に追われて、新しい要素を導入しながらも新しい価値を生み出していないわけだ。
もちろん、時代の変化への対応から始めて本質的な変化を起している例もある。たとえば、電子書籍だ。電子書籍はデジタルの時代の書籍流通のあり方として考えられたものであるが、そこに新しいデバイスの普及が重なり、本では考えられないような量の情報を持ち歩きできるとか、体系的に管理できるといった付加価値が加わっている。
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◆良いもの=品質の時代
今、多くの人が持つイノベーションのイメージはこれだと思う。よいものを作れば売れる。日本の高度成長期を支えてきた技術者の信念でもある。
ところが、高度成長が一段落し、バブルが終わるころにはこの信念が揺らいできた。
よいものを作ってもなかなか、売れない。これは当たり前の話で、高度成長期の「良いもの」とは、品質のよいものだった。ユーザは「品質」のよいものを求め、提供者はそれを分かっているので品質改善にまい進するという中で売れてきた。
ところが、高度成長期が終わるころには品質は共通の価値にならなくなってきた。ちょうど、過剰品質という言葉が使われ出したのはこのころだが、過剰品質とはユーザが求める以上のレベルの品質のことで、一定の品質が保証されているのは当たり前で、それ以上に品質がよくてもそれでユーザが買おうとは思わない。
ただし、この時代の価値感は今でも消えたわけではない。日本品質という言葉があるが、品質に絶対的な価値感を持つ人がいて、水準以上の品質は競争力になる(良いものを作れば売れる)と感がている。
好川哲人
技術経営のコンサルタントとして、数々の新規事業開発や商品開発プロジェクトを支援、イノベーティブリーダーのトレーニングを手掛ける。「自分に適したマネジメントスタイルの確立」をコンセプトにしたサービスブランド「PMstyle」を立上げ、「本質を学ぶ」を売りにしたトレーニングの提供をしている。
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