★補助線 Feed

2008年3月10日 (月)

【補助線】プロジェクトリーダーをやる気にさせるもの

◆プロジェクトリーダーのやる気はメンバーのやる気

これ自体が僕の持論かもしれないが、プロジェクトメンバーをやる気にさせるには、プロジェクトリーダー(マネジャー)がまず、やる気になることが必要だ。

たとえば、ステークホルダからのやる気を削ぐコンタクトは自身が全部引き受けるというプロジェクトマネジャーは結構多い。一種のメンタリング行動だと思うが、これを喜々としてやっているプロジェクトマネジャーも結構いるが、多くの人はそれで自身は疲れ切って、やる気をなくしている人も少なくない。そんな様子をはたから見ていて、メンバーがやる気になって自分の仕事をやることはあまり考えられない。

これでは何をやっているかわからない。リーダーが腐れば、メンバーが腐り、チームが腐る。間違いなくこの伝染はある。

一方で、一人だけテンションが高いなどと揶揄されながらも元気一杯のリーダーがいる。こういうリーダーに出会うと最初は引くメンバーが多い。そこから先はリーダーの力量の問題もあると思うが、ずっとそんなふるまいを続けていると、馴染んでくることがある。慣れてくるのではない。なんとなくそんなものかなと思うのだ。これこそがやる気が伝染した瞬間である。

素晴らしいリーダーで、瞬時にチームの雰囲気を変えるような人もいるが、意外と、最初はメンバーに引かれてもかまわずそのふるまいを続けるリーダーのチームの方がトータルのパフォーマンスは高かったりするものだ。

しかし、リーダーが一定のやる気を持ち続けるのはそうたやすいことではない。

◆プロジェクトリーダーのやる気の源泉?

リーダーに「どのような環境になればやる気が出ますか」と質問したときに帰ってくる3大回答は

(1)やりがいのある(評価される)プロジェクト
(2)権限(好きなようにできる)
(3)優秀なメンバー

である。

ところが、本当にこれだけ準備すると、やる気を出して仕事をしてくれると思うと大きな間違いだ。

確かに最初は張り切って、絶対成功させますなどと宣言するのだ。

ところが、どれだけ優秀な人を集めようと、途中に挫折のないプロジェクトなど、めったにあるものではない。トラブルになったときに、多くの人は

(1)やってみたら全然面白くなかった。重要だと言っている割には何もしてくれない
(2)表向きは権限があることになっているが、実際には上の意見に逆らえない
(3)あいつ、みんなが評価しているけど、ぜんぜん、できない

と豹変する。条件が3拍子そろうことなどまずないので、これが3つ揃うこともないが、ひとつひとつの例をあげれば枚挙にいとまがない。

◆結局は本人のとらえ方次第

どこに問題があるのか?

やりがいがあるかどうかは、本人が決めることだ。ここに「評価」といった「邪念」を持ち込むので、混乱するのだが、評価されるかどうかというのは結果であって、やりがいがあるかどうかというのは本人のプロセスなのだ。端もかけられなかった商品開発が伝説に残る成功になったなどよくある話だし、一見さんなので適当に押し付けられたシステム開発が顧客の大満足を得てリピートにつながることも珍しいことではない。評価を考えても仕方ないというつもりはないが、少なくともそのプロジェクトの開始前の評価など、どうでもいい話であることは間違いない。

(2)についてはもっとひどい勘違いである。権限を持つ経験がなかった人に権限が委譲されても、そう簡単に使えるものではない。ましてや、自分が権限を持ったからといって周りが動いてくれるわけではない。権限は「与えられ、持つもの」ではなく、「奪い、使うもの」だ。

たとえば、人事権があれば人をプロジェクトに引き込んだり、メンバーとして動かすことができると思っているプロジェクトマネジャーが多いが、そんなプロジェクトマネジャーに限って権限に従って動いていない。よいか悪いかは別にして、日本の組織というのはそんなガバナンスの効く組織ではないのだ。権限シンドロームにかかっているだけだ。

つまり、権限を持っても、その権限を自身がうまくつかわなければ何も変わらない。(2)はそれがうまくできないプロジェクトマネジャーの愚痴にすぎない。

(3)は勘違いの極みである。人の能力には絶対値がある。その意味で、できるできないもある。しかし、ある仕事で、一人ひとりの人の能力を引き出すのはリーダーの役割だ。日本の管理職はほっといて成果を出してくれる人とできると言っていた。こういうことをいうプロジェクトマネジャーは100%この傾向がある。その意味で勘違いだ。

◆やる気を引き出すスタンス

ぼろくそに書いたが、3つの条件がやる気の源泉になっているというのは直観だろうし、その人にとって間違っていないのだと思う。だとすれば話は簡単だ。これらが現実のものになれば、プロジェクトマネジャーはトラブルになってもやる気を維持しながら切り抜けていける。つまり、

(1)やりがいがあると思う
(2)もっとうまく与えられた権限を使うことができるはずだと思う
(3)もっとうまくメンバーの能力を引き出すことができるはずだと思う

の3つでプロジェクトマネジャーのやる気は維持されることになる。こんな持論はどうだろうか?

2008年3月 9日 (日)

【補助線】計画されないプロジェクト

◆計画の位置づけの違い

テレビの道路特定財源の議論を見ていたら、なるほどなと思ったことがある。

日本の道路のコストがなぜ高いのかという議論なのだが、欧州では道路は計画に時間をかけて実現性を持つように徹底的にやる。その代わり、計画が終われば、「計画通り」速やかに工事計画を作り、工事をするので、結果として、企画から供用までの時間は欧米の方がはるかに短いという。

ところが日本は、最初の計画は作るが、実現性は工事での調整任せ。着工すると、できるところから予算をつけてやることになる。ゆえに、とびとびに作り掛け道路が点在しているのだそうだ。

なるほどなあと思った。この問題で、以前、テレビで国道8号線の高架化工事のいきさつの特集をやっていた。一応、計画を作って、タウンミーティングをやる。何回かやっているのだが、住民のコンセンサスは得られていないどころか、報道を信じれば圧倒的に反対住民が多い。にも関わらず、今後もタウンミーティングを続けながらも、計画通りに着工手続きに入り、進めていくというのだ。

基本計画の調整ができていないままで、工事にバトンを渡している。

これでは、いくら、工事計画を精緻に作ろうとその通りに実行できるはずはない。実際に工事を始めると、現場では想定していなかった障害が飛び出してくる。

◆なぜ、コストが高くなるのか?

プロジェクトマネジャーのみなさんなら、まあ、これは最後まで計画通りにいかないと思うのではないだろうか?

では、プロジェクトオーナーは何をやろうとしているのか?とりあえず、キックオフする。そして、比較的、反対住民の少ない箇所から着工し、既成事実を作って、反対住民が多いところを切り崩していく。

ただし、この切り崩しが、当初予算どおりにできるはずがないのは、自明の理だ。既成事実化すれば、土地が上がるし、何らかの補償をするにしても、補償金を上げることが「合理性」を持ってくる。当然、当初計画よりはるかに大きなコストがかかる。役人がリスク管理をしていないはずはないので、おそらく、確信犯でやっているのだろう(リスクをとっているわけではない。リスクを識別して無視しているのだ)。

当然、工事コスト自体もよけいにかかるのも明らか。ところが、ここでも既成事実が意味を持つ。「今、止めてしまうと、今までの投資はすべて無駄になる」というロジックで押し切れるからだ。

◆SIプロジェクトのロジック

実は、このロジック、SIプロジェクトで行われていることに瓜二つ。ポイントは以下の3つだ。

・徹底的に基本計画をせず、大雑把な基本計画でとりあえずプロジェクトを始める
・問題がでてきたら、予算の積み増しを要求し、継続する
・今、やめたら、これまでの投資が無駄になると継続の合理性を主張する

この構図は、SIベンダーを非難しているように聞こえるかもしれないが、違う。3つとも、ユーザ側のプロジェクトマネジャーにとってもそうするメリットがあり、利害が一致するのだ。

計画を詳細化すればするほど、意志決定しにくくなるし、時間がかかる。また、変更がしにくくなる。変更をするのは、担当者にとってみれば一生懸命仕事をしていることのエビデンスだと言えなくもない。そして、中断しないのは一蓮托生である。

このような利害の一致があるがゆえに、止められない。そして、大けがをする。

◆ユーザ側の理性と計画

ただ、ユーザ側に「理性」があると、こんなことにはならない。先日の新聞にこんな記事が載っていた。

=====(抜粋開始)
静岡県を地盤とする地方銀行のスルガ銀行(本店・沼津市)は6日、銀行業務に関する基幹コンピューターシステムの開発を契約通りに行わなかったとして、開発委託先の日本IBM(本社・東京都港区)に約111億円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした
 関係者によると、スルガ銀行は2004年9月、銀行業務全般にかかわる基幹システムを刷新するため日本IBMとシステムの開発契約を結び、開発費用の一部はすでに日本IBMに支払っている。ところが、新システムの稼働を予定していた08年1月を過ぎても稼働のめどは立っておらず、開発費用も当初の予定額より膨らんだため、支払った費用の返還などを裁判で争うことにしたという。
 スルガ銀行は日本IBMとの開発契約は破棄したと主張しているが、システム開発自体は引き続き進めるとしている。
 日本IBMの広報担当者は、「このような訴えを起こされるのは異例だ。訴状が届いていないので詳細は分からないが、スルガ銀行との契約上の義務は果たしたと認識している」と話している。
=====(抜粋終了)

たぶん、記事の内容からすれば、契約の方法などにも問題があるように感じるが、ここで区切りをつけようとしたのは、まさに「理」だとも感じる。

ちなみに、スルガ銀行は横並びしないことで有名な地銀だ。何よりも、スルガ銀行を有名にしたのは、バブルの時に踊らなかった数少ない銀行であったこと。同族経営の強みだと言われているが、まあ、経営や、戦略を感じる企業である。

この記事は、SIプロジェクトのプロジェクトマネジメントは日本で活動しているベンダーとしては頭一つ抜けているという評判のIBMであることがもう一つのポイントだろう。これ以上は憶測になるので控えるが、このような事態が発生するのも、道路の問題と同じく、「計画」という作業の「位置づけ」に問題があるのではないかと推測される。

2008年3月 8日 (土)

【補助線】プロジェクトリーダーがやる気になるための持論

◆メンバーのやる気の源泉はリーダーのやる気

こんな記事をPM養成マガジンのマイナーなコーナー「PMコンピテンシーを高める一冊の本」に書きました。

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プロジェクトマネジャーで、メンバーのやる気を気にする人が多いが、それよりも問題なのはプロジェクトマネジャー自身のやる気だ。

常にハイテンションのプロジェクトマネジャーだとメンバーがつかれてしまうといったことを言う人もいるが、プロジェクトマネジャーにやる気がないのに、メンバーがやる気まんまんなどといったプロジェクトなどまず、お目にかからない。

プロジェクトマネジャーは自身のやる気をうまくコントロールしなくてはならない。

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これは、神戸大学の金井壽宏先生の書かれた「やる気攻略法」という本の書評として書いたものです。この本では、モチベーションの高め方を実践家の事例を通じて考えています。

ワークモチベーションは誰にとっても身近なテーマで真剣に仕事に取り組んでいる人であれば、必ずといってよいくらい持論を持っているテーマです。

みなさんは、プロジェクトリーダーとして自身の持論を持ち続けるにあたって、どんな持論をお持ちですか?

◆好川のリーダーとしてのモチベーションを高めるための持論

ちなみに僕は、自分の活動に常に意味付けをしながら、プロジェクトを回していくようにしています。「やらされ」のプロジェクトでも考えてみれば、何か意味があるはずです。

それは、プロジェクトマネジャーとしてのキャリアを深める、スキルを向上させるといった個人的なことではありません。

僕はキャリアアンカーが僕のキャリアアンカーは「創造」ですので、よけいにそう感じるのかもしれませんが、自分がこのプロジェクトで何らかの社会貢献できるということで、モチベーションをコントロールしています。

僕のセミナーを聞かれた方は、僕が異様に「プロジェクトの目的」にこだわっていると感じられている方もいらっしゃると思いますが、これも根っこは同じ話です。

(注)キャリアアンカーとは、キャリアを選択する際に最も大切な他に譲れない価値観や欲求のことで、有名なのは、エド・シャインの提唱した5つである。
自律:組織に属さず、何事も自分の力でやろうとするタイプ
創造:自分自身の何か(製品、会社、サービス)を生み出したいタイプ
技術・職能:スキルを中心に自分キャリアを作っていくタイプ
安定:キャリアの安定に何よりも関心を持つタイプ
管理:組織の中で、より管理・統制できる地位への出生に関心を持つタイプ

◆みなさんの持論を共有しましょう

このテーマについて、みなさんがお持ちになっている持論を共有しませんか?コメントに書き込んでもらえるか、あるいは、好川まで直接、メールをください。メールの場合は公開してよいかどうかも書いておいてください。

ここで、みなさんの背中をおすために、持論とは何かを整理しておきたいと思います。

金井先生は、ビジネスインサイト誌で、「持論とは」ということでこんな定義をされています。

=====

持論とは、学者が構築する公式の理論とは異なり、実践家が意識的にせよ無意識にせよ実際に用いているセオリー(theory-in-use)を指す。

金井壽宏「ワーク・モティベーション論における古くて新しい展開 -経営学における持(自)論アプローチのモティベーション論への適用-」、ビジネスインサイト、No.55 より抜粋

=====

多くの皆様は、モチベーションの問題に限らず、なにがしかの持論をお持ちではないかと思います。

持論のイメージがわかない人はぜひ、この本を読んでみてください。多くの実践家のモチベーションに関する事例が紹介されています。

「やる気要塞」を攻略しよう!

どうすれば持論を整理できるか、見当のつかない人は以下の記事を読んでみてください。持論を発見するステップになりうるエクスサイズを紹介してあります(金井先生の作られたものです)

メンバーのモチベーションの源泉を知る

2008年3月 4日 (火)

【補助線】プロジェクト編集~プロジェクトマネジメントは編集である

編集というと、本や雑誌、新聞の編集のイメージがあるが、「編集工学」の提唱者で松岡正剛氏の編集のイメージは似て非なるものである。松岡正剛氏には膨大な著作があるが、その中で編集について言及した部分をいくつか抜き出してみよう。

もっとも有名な表現は編集とは「情報の新しい関係性の発見」というものだろう。「知の編集工学」での表現。また、「知の編集術」では「コミュニケーションの充実と拡張に関する方法」だと言っている。この本では

1)編集は「文化」と「文脈」をたいせつにする
2)編集はつねに「情報の様子」に目をつける
3)編集は日々の会話のように「相互共振」をする

と、かなり、具体的方法論に踏み込んでいる。

また、「日本数寄」には「眼の編集」という言葉が登場する。

縄文の縦櫛が弥生の横櫛に変わっていったのも、片輪車模様が流行したり小袖が流行したりするのも、よくよく見ればそこには文化的な編集のプロセスというものがあった。それはいわば「眼の編集」というものである。

この眼の編集という概念はえらく深いなあと思うが、いずれにしてもこれらの表現から雑誌や新聞の編集とは違った世界だということはおわかりいただけるだろう。

プロジェクトマネジメントの本質は編集にある。プロジェクトの周囲に渦巻く要素の間に、関係性を発見していく仕事である。

編集でいう情報はプロジェクトではなんだろうか?プロダクト(成果物)だととらえてしまうと、編集だというのは極めて狭義になってしまう。プロダクト以外に、人や組織、また、情報そのものも編集の対象である。これらを要素という。

たとえば、情報を与えることによって人を動かし、組織を動かす。そして、プロジェクトが動き、成果物も動く。これが「相互共振」である。

文化や文脈に相当するのもは、プロジェクトの背景であり、戦略であり、シナリオである。これらを重視しながら、計画を作っていく。計画とは要素間の関係を示すものであり、要素間の関係を明確にしながら、プロジェクトを進めていく。これは或る意味で情報の編集である。この際に重要なのは共振を引き起こすことである。共振を引き起こすことにより、各要素の本質が明確になり、その関係づけを適切に行うことが可能になる。

プロジェクトマネジャーには編集力を持ってもらいたい。

2008年3月 3日 (月)

【補助線】考え抜く

◆ちゃんと考えていますよ! ???

「ハウツープロジェクトマネジャー」から、「考えるプロジェクトマネジャー」になろうと訴えた。思ったとおりの反応があった。

言われるまでもなく、「考えている」

本当に考えているのだろうか?たとえば、こんなことをやっている。

顧客からスコープ追加の要求が増えた。ぎりぎりの予算とスケジュールでやっていると思っているので、本当はやりたくない。そこで、プロジェクトマネジャーは担当リーダーにこんな指示をする。

「○○の機能を追加しろと言ってきた。細かい仕様は適当に仮定して、時間と人をどれだけ追加すれば実現できるかを検討して、明日までに教えてほしい」

翌日、リーダーは2週間と3人という答えを持ってきた。

そこで、プロジェクトマネジャーは少し「考え」、顧客に次のように申し出た。

「わたしたちとしては品質を下げることは信用の問題になるのでできません。それを前提にスケジュールとコストとスコープでお客様がもっとも重視するのは何かを決めてほしいのですが」

プロジェクトスポンサーは

「この機能は落とせない。絶対に入れたい。」

と答えた。待ってましたとばかりに、プロジェクトマネジャーは

「では、スケジュールを2週間遅らせ、要員を追加したいので、予算を300万ほど、追加してもらえるなら対応できます」

と答える。

◆思考停止を推進するプロジェクトマネジャー

こういうやりとりを考えていないという。

どこが考えていないのか?まず、「時間と人をどれだけ追加すれば実現できるかを検討」といった時点でリーダーに対して思考停止を指示している。

このパターンは実に多い。プロジェクトマネジャー自身が責任を取りたくないし、考えたくないので、今までのやり方に固執する。そのために、部下に考えさせないようにする。

また、プロジェクトマネジャーは、考えて上司に持っていっても相手にされないこともよくわかっている。

ここで、リーダーから、

「私にお任せください。これこれ、こういう方法で今の今の工数で何とかしますから」

などと言われようものなら、責任問題に発展しかねない。

「う~ん、そうだよね。それはよいアイディアだね。でも、うまくいかない場合には大変なことになりそうだね。予算とスケジュールの問題はなんとかするから、安全な方法でいこうよ」

といった感じで、思考停止を推進する。

こんなことを3年もやっていたら、一人前の「考えない戦士」が誕生する。

◆ロジカルシンキングによるカモフラージュ

実は、このような一連のプロセスの中に、ロジカルシンキングを持ち込むと、あたかも考えているような錯覚に陥るのだ。前提さえ都合よくとれば、都合のよい結論を導き出せるからだ。つまり、考えないように考えているのだ。

考えないというのはどういうことか?「あるべき姿」を考えないのだ。前回の記事で述べた考えることを嫌がることの本質はここにある。あるべき姿を考えていると、「そんな理想を言っていないで、地道に改善を考えろ」とみんなから袋だたきにあう(ただし、これは大ウソで、あるべき姿のないところにカイゼンはない)。

◆考え抜く

さて、本題に入ろう。考えるというのだけでは不十分なようだ。言いなおす。

 考え抜く

考え抜くとは、主要なステークホルダ全員が納得する答え(ソリューション)を出すことである。上のような足して2で割るような答えを出すことではない。全員がそれでよいと思える答えをだすことだ。

考え抜くためにはどうすればよいか?

まず、あるべき姿を明確にすること。現状とあるべき姿の対比で何を考えればよいか(問題)がはっきりする。その問題に対して、制約をおかずに考え、解決方法を探すこと。これが解決方法のあるべき姿になる。現実にできることとあるべき姿のギャップを探し、そのギャップを埋める方法を考える。この思考をギャップがなくなるまでやっていくことこそ、考え抜くということだ。

考え抜いてほしい!

2008年2月25日 (月)

【補助線】「ハウツープロジェクトマネジャー」から、「考えるプロジェクトマネジャー」に

◆米国大統領選にみる光景

米国の大統領選挙、それも予備選がこれだけ日本で注目されたのはおそらく初めてである。テレビで放映されるたびに思うのは、国民の政治的な関心の高さの違いというのは背景にあるとしても、インタビューに対して、米国民は非常に論理的、かつ、明確な論点で自分の意見を述べるのは驚くばかりである。ビジネスの中でもその違いは感じているが、ビジネスマンの世界のことだろうと思っていた。ところが、どんな階級の人たちに聞いても同じような雰囲気なのでびっくりしている。

一方で、「新橋日本のサラリーマン」に聞くは、夜のニュース番組の定番取材方法であるが、どんなテーマのインタビューにしろ、こういう回答は滅多に見かけない。どう思うかといわれて、いいとか悪いはいうのだが、なぜよいか、なぜ悪いかを明確に言わない。10年くらい前から、戦略経営だの、目標管理だの、論理性や議論の求められる経営手法が普及してきてそのようなトレーニングを受けているはずなのだが、結局、こんなものかと思いたくもなる。

この違いは何か?

◆新橋サラリーマンはどうか?

「新橋日本のサラリーマン」に聞く系のインタビューで、結構、米国人に近い反応をしている人たちがいる。主婦だ。憶測だが、場所からすれば、職業を持つ人か、あるいは、高等教育を受けて家庭に入った人が多いのだと思うが、自分の意見の論点も明確にするし、意見に至った経緯もきちんと話をする。

先日、著者の出身のMBAコースの教員と教員候補(大学院でアカデミックキャリアを目指す人)、および、OBで教育の在り方を議論する機会があったのだが、その会で面白い話を聞いた。日本の場合は、大学を卒業して5~10年の期間を置いてMBAのコースに戻ってくる人が多いそうだ。すると、大学のときにすばらしい発想や思考をしていた人が全然ものを考えられない人になっていることが多いそうだ。そのため、MBAプログラムの最初はアイスブレークとしてプロジェクト研究というのがある。これを通して再び考える能力を「再生」し、そこから本格的な教育が始まるという。

なぜ、こうなるかという議論もあったが、いろいろと問題がありそうなので書かない。理由は著者の経験として述べる。

◆日本企業は考えることを嫌う

まず、日本企業の組織は考えることを嫌う。人事施策から始まって、社内に考えられると困ることが山ほどある。マネジメントと管理がどう違うかというのは何度も現場の視点から述べているが、組織の視点から述べるともっと簡単だ。マネジメントの基本は情報共有と議論にあり、管理の基本は情報コントロールにある。権限は情報の格差で生まれてくるのだから、当り前の話である。これでいくと、日本の組織のマネジメント部門は例外なく、管理をしている。現場のコンサルティングに入って知りたい情報が現場にはほとんど下ろされていない。現場は現場で、それは教えてもらえないとあきらめている。この情報が権力の源泉になっていることはちょっと「考えれば」すぐわかる。

そのために、考えさせないようにしている。もっと正確にいえば、範囲を決めて考えさせるようにしているといった方がよいだろう。たとえば、現場の問題を解決するために、現場でできる範囲で考えてくださいという。

これは必ずしも悪いことではない。日本の製造業の現場が強いのは、徹底的にこれをやるからだ。現場と経営の関係は難しく、お互いに責任転嫁をする関係にある。経営の責任は現場Think(下)にするが、現場の責任を経営に転嫁させないため、現場がなんとかしようと工夫して素晴らしい競争力が生まれてたのだ。

◆考えるプロジェクトマネジャーがプロジェクトを強くする

この構図は、実は経営とプロジェクトの間でも変わっていない。プロジェクトマネジャーという経営と現場のゲートキーパーを置いているが、ゲートキーパーにはたいした権限を与えていないので、結局、現場(プロジェクト)の問題は現場で何とかせざるをえないような状況になっている。

非常に乱暴な言い方をすると、現在の状況で経営の問題を言ってみたところで始まらない。たとえば、うまくいくはずのないような条件のプロジェクトを始めて、始まった後でプロジェクトの選定が悪いと言ってみても何の問題の解決にもならない。始まってしまえば、現場で何とかするしかない。これによって、かつての製造業の現場のように強い現場、強いプロジェクトができるのだと思う。

このような対応をするキーマンはいうまでもなく、プロジェクトマネジャーである。上のような条件の厳しいプロジェクトに対してプロジェクトマネジャーは2つの選択肢を持つ。ひとつは、経営が悪いと言って開き直り、納期やコストのコントロールを放棄することだ。もうひとつは、現場と一緒になり、なんとかする工夫をすることだ。

後者になるためには、「ハウツープロジェクトマネジャー」から、「考えるプロジェクトマネジャー」になる必要がある。

2008年2月22日 (金)

【補助線】アジャイルの逆機能

◆マックス・ウェーバーが官僚制組織の定義

ムック執筆の機会があり、久しぶりにプロジェクトマネジメント入門のような記事を書いた。その中で計画重視型プロジェクトマネジメントと行動重視型プロジェクトマネジメントの比較を行うと重い、多少のインタビューをした。その中で気がついたことがあるので、雑誌には書かない話を書いておく。

そのまえにちょっとうんちくを。社会学者マックス・ウェーバーが官僚制組織の定義をした。それによると、官僚制組織には
 1.成員の行動や組織運営を規定している規則の体系がある
 2.指揮・命令の系統がはっきりしている
 3.職務が分業化され専門分化している
 4.情緒を排除した没人格的な役割行動が求められる
 5.公私の区別が明確である
 6.文書化されたものをベースに仕事がなされる
の6つの特徴があるというものだ。ウェーバーは官僚制組織の利点を中心に議論しているので、表現方法も肯定的なものになっている。官僚制が大企業において必であるように、、プロジェクト組織においても必須だと考える人もいるだろう。だいたい、PMBOKはこの6つの点をクリアすることを念頭につくられていると考えておけばよいだろう。

◆ロバート・キング・マートンが官僚制組織の逆機能

これに対して、ロバート・キング・マートンが官僚制組織についてのマイナス点を指摘した。

・規則万能(例:規則に無いから出来ないという杓子定規の対応)
・責任回避・自己保身
・秘密主義
・画一的傾向
・権威主義的傾向(例:役所窓口などでの冷淡で横柄な対応)
・繁文縟礼(はんぶんじょくれい)(例:膨大な処理済文書の保管を専門とする部署が存在すること)
・セクショナリズム(例:縦割り政治や専門外の業務を避けようとするなどの閉鎖的傾向)(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

などがあるという指摘だ。

マートンはこれらを官僚制の逆機能と呼んだ。つまり、自分の職務に熱心であろうとすればあろうとするほど、よい官僚であろうとすればあろうとするほど、このような現象が起こりやすくなるというのだ。

官僚主義というのはあまりよい意味では使われていないが、逆機能が起こった結果、悪いイメージができている。

さて、官僚組織に限らず、こういう逆機能はよくある。

◆アジャイルの逆機能

前置きが長くなったが、アジャイルプロジェクトマネジメントについて、何人かにインタビューしているうちに感じたのが逆機能。

アジャイルスタイルであろうとするために、スコープ変更は受け付けたくないとか、一緒に仕事をしたことのないメンバーは入れたくないとか、顧客に口出しをしてほしくないとか、アジャイルをやるには予算が足らないとか、結構、こういう指摘をたくさんの人から聞いた。一様に、「アジャイルは万能ではない」といった枕詞をつけながら、、、、

こうして、だんだん、アジャイルの存在価値をなくしているという現実があることに気がついた。難しいなあ、、、

ちなみに、なぜ、こういうことが起こるかということを合理的に説明できる法則に、「ピーターの法則」という有名な法則がある。これは

「人々はあるヒエラルキー(階層社会)のなかで、昇進していくうちに、いつか無能レベルに到達する傾向がある」

という法則である。これについては、「なぜ、優秀なプロジェクトマネジャーが少ないのか」という別の記事を書いているので、参照してほしい。

2008年2月21日 (木)

【補助線】なぜ、優秀なプロジェクトマネジャーが少ないのか

「ピーターの法則」という有名な法則がある。

4478760853人々はあるヒエラルキーのなかで、昇進していくうちに、いつか無能レベルに到達する傾向がある

という簡単な法則。

プロジェクトにあてはめて考えてみよう。

エンジニアとして非常に優秀であるものは、いずれプロジェクトマネジャーになる。そして、プロジェクトマネジャーとして優秀なものは、マネジャーに昇進していく。マネジャーとして優秀なものはシニアマネジャーに昇進する。

一人の社員のキャリアをみれば、プロジェクトマネジャーとして無能であれば、マネジャーに昇進することはなく、プロジェクトマネジャーで昇進が止まる。マネジャーに昇進したものがマネジャーとして無能であればマネジャーで昇進が止まる。シニアマネジャーに昇進したものが無能であればシニアマネジャーで昇進は止まる。

結果として、プロジェクトマネジャー以上の役職には、無能な人材が多くなる。

エンジニアの中でプロジェクトマネジャーになるのが80%、プロジェクトマネジャーの中で課長級になるのが40%、課長級の中で部長級になるのが30%とすれば、プロジェクトマネジャーの60%は無能なままにプロジェクトマネジャーを繰り返し担当することになる。プロジェクトスポンサーは課長だとすると、プロジェクトスポンサーの70%は無能なままにプロジェクトスポンサーを行うことになる。

ピーターの法則の生みの親であるローレンス・ピーターは風刺として書いていると述べているが、たくさんの優秀なエンジニアを抱えた組織にほとんど優秀なマネジャーがうまれないという現実を見ると、あながち的外れとはいえない。

もちろん、組織としてもこれに対して無対策ではない。ひとつはプロジェクトマネジャーのキャリア認定制度である。有能なプロジェクトマネジャーはプロジェクトマネジャーを卒業していくという事態を防ぐために、課長級のプロマネ、部長級のプロマネなどのキャリアを準備している。役員待遇のプロマネがいるような組織もある。

この制度が有効なのは優秀なプロジェクトマネジャーの確保ができるだけでなく、優秀なプロジェクトスポンサーを確保することもできることだ。課長級や部長級のプロマネはプロジェクトスポンサー的な役割を自身で果たすこともでき、無能なプロジェクトスポンサーによりプロジェクトがピンチに陥るのを避けることができる。

また、プロジェクトスポンサーについても、優秀なマネジャーのみに集中して行わせるようにしている。これもピーターの法則回避への対策だろう。

さらに、これはある大手企業で事業部長から実際に聞いた話だが、重要なプロジェクトについては、優秀なプロジェクトスポンサーと無能なプロジェクトマネジャー、あるいは、無能はプロジェクトスポンサーと有能なプロジェクトマネジャーの組み合わせと意図してやっているという。本当は有能タッグを組ませたいのだが、そこまで人材育成ができていないという。

プロジェクトスポンサーもプロジェクトマネジャーも、優秀であるという前提でものごとを考えてみても仕方ないということだけはいえそうだ。

では、どうすればよいのか?本を読んでみてほしい。

ピーターの法則」、ダイヤモンド社(2003)

2008年2月20日 (水)

【補助線】ルールと現場力

今年はプロジェクトマネジメントの仕組みを撤廃します

で紹介した書籍

エリック・エイブラハムソン、デイヴィッド・フリードマン(田村義進訳)「だらしない人ほどうまくいく」、文藝春秋(2007)

の中に面白い話がある。

マンハッタンでは車の流れが少しでも途切れると、信号も横断歩道も無視して、通りを横切る。信号無視する人が安全弁の役割を果たし、歩行者がスムーズに流れる。ワシントンDCやロンドン、東京では、みんなが青信号に変わるのを待ち、青になると一斉に横切る。このため、歩道も横断歩道も渋滞し、横断歩道の渋滞が道路の渋滞を引き起こす。

ところが、メキシコ・シティでは、信号無視する人が多いために、交通が渋滞する。

人や車をスムーズに流すには、信号機に管理された秩序正しいシステムがあり、そこにある程度の信号無視が加わればよいことになる。

つまり、「だらしな系」には最適レベルがあり、度を越さないように注意する必要がある。

あなたはこの話をどう感じるだろうか?マンハッタンとワシントンDCが違うというのも興味深いのだが、それは別にして、これに近い感覚、つまり、ルールをきっちり守るのだけがよいわけではないという感覚を持たれる方は多いのではないかと思う。

仕事の中で考えてみよう。

たとえば、ゲートレビューが終わるまで先に進めてはならない。しかし、レビュアのスケジュールに合わせていると2~3日、多くのメンバーに手待ちができるとしよう。このとき、とりあえず、レビューの影響を受けにくい作業を選んで先に進めるというのは日常的なのではないだろうか?(もっとも現実的にはそんな余裕はなくて、当初予定より遅れたらほっとプロジェクトも多いかもしれないが、、、)

結局、現場力の本質はここではないかと思う。ルールを守らなくてもよいと考えるというのは論外である。そんなことを考え出すと考えでは組織と社会も成り立たない。悪法も法だ。

しかし、結果としてルールを守るかどうかは、別の話だ。ルールの別解釈をする、あるいはもっと過激にいえばルールを守らないことに対するペナルティを折り込んでルールを守らないという選択肢がとれるかどうかが現場力なのだ。

ルールとはそもそも、そういうものだと思うが、ルールを決めた人の解釈が唯一の解釈ではない。違う解釈がありうるから進歩が起こるのだ。決めた人の解釈が唯一の解釈であればワンマンであり、ルール制定者を超えた進歩はあり得ない。

国の仕組みでも立法と司法はガバナンスが違う。

逆にいえば、決めた人の解釈しか通らないようなルールはほめられたものではない。たとえば、上のレビューの例で、こういう2つの事例を知っている。

(1)上位組織はプロジェクトからのX工程作業完了を受け、2週間以内に○○レビューは実施する。プロジェクトは○○レビューの結果をY工程へ反映する。
(2)上位組織はプロジェクトからのX工程作業完了を受け、2週間以内に○○レビューは実施する。プロジェクトは○○レビュー合格の後にY工程作業へ着手する。

この2つのルールの制定目的はほぼ同じだ。ところが(1)だと、ルールの意図はY工程の前にレビューをすることだとしても、後でレビューを受けて調整すればよいという解釈もでき、レビューのスケジュールによる手待ちは起こさないで済ますことができるだろう(ゲートになっていないのではという指摘もあると思う。詳細は書けないが、このルールのレビューでプロジェクトの中止を決めたケースもあるそうだ。意図はゲートです。)

これに対して(2)だと別解釈はしにくく、手待ちが起こる。

問題は(2)のようなルールがあったときにどうするかだ。ルールを変えてもらう運動をするというのは傍におき、ルールを守って納期に遅れることと、ルールを破って納期に間に合うことのどちらを選ぶか?後者を選んだ上で、怒れらないように最善の措置を尽くすというのが現場力だといえよう。

最後に一言釘をさしておくが、ルールを破るのが現場力ではない。ステークホルダが納得できるような最適解を現場で探す力が現場力である。したがって、「ルールを守っていたら遅れるというのは誰が考えても分かる。ルールを破って何が悪い」というロジックは通用しない。そうは思わない人もいるからだ。思わせることも含めて現場力なのだ。

2008年2月11日 (月)

【補助線】身内のコミュニケーションと顧客とのコミュニケーション

Com

◆身内のコミュニケーションはできるが、顧客コミュニケーションができない

チームメンバーや上位組織とのコミュニケーションはそれなりにできているのに、顧客やライン組織以外のステークホルダとのコミュニケーションでいろいろと問題が発生することが多いということを感じているSI企業は少なくない。

先日、弊社の「ひとつ上のコミュニケーションマネジメント」セミナーに参加されていた外資系企業の方がこんな指摘をされていた。

「日本企業と外資の両方を経験しているが、コミュニケーションに対する認識の違いは大きい。たとえば、コミットメントというのは今の会社では情報を伝えることだが、日本企業では合意をすることだ」といったことを言われていた。僕の経験でも、外資系の企業も多少温度差はあるが、おおむね、この方の言われることに同感である。

◆外資系のコミュニケーションと日本企業のコミュニケーション

日本の組織の中で例外的なのはSIベンダーだと思う。事業や組織のモデルを米国企業に取っている組織が多いためか、外資のような情報伝達型のコミュニケーションが行われている。冒頭に述べたように、それでうまくいっていると感じているのであればそれでよいと思う。

ここで重要なポイントは、このようなコミュニケーションは「自己責任」に立脚するコミュニケーションであり、情報を受けた受け手はその情報の適切な理解と理解に基づく行動を組織や社会から「自己責任」として求められる。

これに対して、日本人のコミュニケーションは「受け手」の自己責任に立脚しない。コミュニケーションをとるということは、共同責任(連帯責任)を負うということであり、ゆえに、共通の理解をし、起こすべき行動を合意するまでコミュニケーションは行われる。

この価値観は理解しておく必要がある。

◆顧客は日本型組織である

さて、冒頭に述べた身内のコミュニケーションはうまくできるが、顧客コミュニケーションがうまくてきないという問題の本質は、顧客は日本企業であり、日本人であるということだ。いくらグローバル企業であっても、日本で行っているビジネスの顧客は日本組織、日本人なのだ。ここに対して、自分たちのやり方に合わせろということは間違っても受け入れられない。

仮にグローバル企業に依頼するのだから、プロジェクトをその会社のワールドワイドの標準(たとえばPMBOK!)で運営することは認めて、対応するという譲歩をしたとしても、コミュニケーションのやり方を合わせてほしいといわれて、うんという顧客は皆無だろう。

◆コミュニケーションは文化であり、ダイバーシティが必要

コミュニケーションは文化であり、ダイバーシティを認めるべきものだからだ。

冒頭に述べた社内コミュニケーションはうまくやっているが、顧客とうまくコミュニケートできないプロジェクトマネジャーの大半はこの点を勘違いしている。

コミュニケーションの流儀を顧客に合わせない限り、絶対にうまくいかないだろう。ダイバーシティを認めて、きちんとした対応が必要である。

ダイバーシティマネジメントの議論としてはここまでだが、ここでひとつ考えるべきことがある。

◆顧客中心型のプロジェクトコミュニケーションが必要!

このような対応をすると、プロジェクトの中でコミュニケーションをダブルスタンダードにすることになる。これは思わぬ問題を引き起こすことがある。プロジェクトの内容にもよるが、一般的には顧客を交えてメンバー同士がコミュニケーションを行う必要がある場面が結構ある。

これをどうすればよいか?一つの解決策は、顧客を中心にしてプロジェクトコミュニケーションを組み立てていくことだろう。つまり、顧客起点でコミュニケーションニーズを分析し、そのニーズに合わせたコミュニケーションプランを作り、実施していく。コミュニケーションプランに対して、顧客を交えた議論をし、顧客が納得できるプランにしていく

プロジェクトをスムーズに進めるためには、そんなコミュニケーションマネジメントが必要だ。

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好川哲人

技術経営のコンサルタントとして、数々の新規事業開発や商品開発プロジェクトを支援、イノベーティブリーダーのトレーニングを手掛ける。「自分に適したマネジメントスタイルの確立」をコンセプトにしたサービスブランド「PMstyle」を立上げ、「本質を学ぶ」を売りにしたトレーニングの提供をしている。