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2007年6月21日 (木)

【補助線】なぜ、日本には女性PMが少ないのか(その2)

PMI東京の女性事務局長・永谷裕子さんに先月からメルマガの記事を書いていただいている。

ITプロジェクトでのDiversity
http://www.pmstyle.biz/column/list.htm

今月の記事の中で、ご自身の欧米でのコミュニティの参加経験から、日本は女性プロジェクトマネジャーが少なく、それを増やすにはどうすればよいかを提案されている。

第2回「ジェンダー(男性・女性)の課題」
http://www.pmstyle.biz/column/diversity/diversity2.html

実は、永谷さんにこの連載をお願いしたきっかけは、1年くらい前になにかの打ち合わせのついでに、ジェンダーダイバーシティの話をしたことだった。

その後で、ブログにこんな記事を書いていた。

なぜ、日本には女性PMが少ないのか
https://mat.lekumo.biz/ppf/2006/08/post_08b3.html

記事は単なる問題提起だが、この問題に対する見解を書いてみる。

プロジェクトマネジャーが少ない原因は大きく分けると2つある。ひとつは、そもそもプールにいないことであり、もうひとつはプールにいても選ばれないことである。永谷さんも書かれているが、前者の問題は組織としての問題であり、現場マネジメントとしては人事施策の効果を待つしかない。

ここでは、後者の選ばれないという問題について考えてみる。女性がプロジェクトマネジャーに選抜されない理由は大きくは3つあると思われる。

(1)プロジェクトスポンサーが使わない
(2)本人がやりたがらない
(3)顧客やエグゼクティブが歓迎しない

の3つ。

(1)はまさにジェンダーダイバーシティの問題であるが、プロジェクトマネジメントにおいては、この問題は解消されている。プロジェクトマネジャーの選抜の仕組みができていれば、これは問題にならない。むしろ、(2)や(3)の問題が絡むのでややこしい。

(2)の問題が意外と多い。ただし、この問題も女性だから云々という問題ではない。男性でもプロジェクトマネジャーになりたがらない人は少なくない。その意味で、これも男女に関係なく、プロジェクトマネジャーになりたいような環境を作っていくことが先決である。これも、まずは、プロジェクトマネジメントをプロジェクト、組織ともきちんと行うことが先決であろう。

もちろん、その段階で女性特有の問題が出てくる可能性がないとはいえないが、今はその段階ではない。

(3)もっとも厄介なのは、実は(3)ではないかと思う。このような場面に今まで何度も遭遇してきた。この問題は根が深い。実は、組織のダイバーシティが最も問われるのはこのような局面ではないかと思う。ダイバーシティのある組織は、顧客やエグゼクティブに対して、リスクをとってでもスポンサーシップを持ってサポートしていく。

そう考えると、結局のところ、現場でのダイバーシティの問題は、リスクをとりたがらないという問題に帰着するのではないかと思われる。

今日は、こんなところにしておく。

2006年12月25日 (月)

富士通版 プロジェクトマネジメントの成功法則

PMAJで「ITプロジェクトマネジャー成功の条件」というSIG(研究会)に参加している。副会長の佐藤義男さんがやられているSIGである。先日、SIGのミーティングがあり、富士通の近藤さんから面白い話を聞いた。

富士通は最近プロジェクトマネジメントで非常に成果をあげている。日本のSIベンダーは10年くらい米国のSIベンダーに遅れを取っているという説があるが、富士通だけはそこから頭一つ抜け出した感じがあって、おそらく5年くらいまで挽回しているのではないかと思う。

さて、その近藤さんの話だが面白いのは、近藤さんはプロジェクトマネジャーに必要な資質の中で50%は技術的なスキルだといわれている点だ。これは一般的に言われている認識とはだいぶ異なる。

近藤さんの言われる6つの成功法則は以下のようなものである。

1)体制
2)システム化技術を初期の段階で決めることができる
3)業務設計(要求)の聞き出し方
4)WBS、計画を詳細に書く
5)モチベーションの向上マネジメント
6)無謀なプロジェクトを止める

近藤さんの体験によると1)~3)がきちんとできると大多数のプロジェクトはうまくいくそうだ。これが、技術50%の根拠らしい。

なるほどなと思った。1)~3)は、いわゆる技術ではなく、開発マネジメント技術である。プロジェクトマネジャーに技術が必要かどうかはいろいろな説がある。しかし、開発マネジメント技術が必要であるというのは異論がないところではないかと思う。開発マネジメントができないプロジェクトマネジメントはプロジェクトはマネジメントできないだろう。

これはSIに限ったことではない。例えば、商品開発であればISOをうまくまわせない人にはプロジェクトマネジメントはうまくできないのと同じことだ。

近藤さんの話は他にも含蓄がある。1)~3)だけではできないプロジェクトもあるそうだ。これについては、4)に取り組めとのこと。さらにそれでもだめな場合には5)が必要だという。1)~3)でできるかどうかは、プロジェクト初期のあいまい性に大きく依存する。あいまい性が大きい場合には計画を詳細にしろというのはよく分かる。また、それすらできないようなケースは「ひと」の持っているポテンシャルを引き出すことを考えろというのもそのとおり。

それでも危いと思われるものはやらない。非常に納得性が高い。

2006年12月17日 (日)

プロフェッショナル

コンサルタントの波頭亮氏の書いたプロフェッショナル論「プロフェッショナル原論」の中に、以下のようなフレーズがある。

プロフェッショナルという言葉を聞いてまず思い浮かべるのは常人の域をはるかに超えた知識や技術の凄さであろうが、実はプロフェッショナルのプロフェッショナルたる本質は神に誓う自らの使命であり、わが身に課す厳しい掟にあるのだ。

昨年から、今年にかけてプロフェッショナルとは何かを問われる事件がたくさんあった。昨年のマンション強度偽装、粉飾決算、インサイダー取引、病気の臓器移植、すべて、プロフェッショナルが絡んでいる。

僕がプロフェッショナルであることを意識しだしたのは、技術士という資格をとってからだ。大学院に通ったときに、プロフェッショナルの研究をした。医師、看護婦、エンジニア、研究者、会計士、弁護士、弁理士などさまざまな人にインタビューをし、プロフェッショナルの本質を見極めようとした。その活動の中で得られた結論が波頭氏の結論とまったく同じものだった。

プロフェッショナルにとってもっとも大切なものは「倫理観」である。これを波頭氏は「神に誓う自らの使命であり、わが身に課す厳しい掟」と呼んでいる。今年は、オーム真理教事件が結審したが、この事件はプロフェッショナルとは何かという観点からも考えさせられる点が多かった。凄い知識や技術を持っている人が、その活用方法や研鑽において間違った方向性を持ってしまうと、社会的に非常に大きな脅威になる。

つい最近、Winyの作者に有罪判決が出た。即座に上告したようだ。この事件は、著作権の観点からいえば難しい部分があると思うが、一つはっきりといえることは、作者はプロフェッショナルではないことだ。ハッカーであっても、プロフェッショナルではない。

日本にもプロスポーツはたくさんある。しかし、プロフェッショナルを感じさせる人は多くない。サッカーだと三浦和良、中田英寿など数名。あとは、すばらしいファンタジスタかもしれないし、ストライカーかもしれないが、プロフェッショナルは感じない。

プロフェッショナルの研究をしたときに、

僕がやっていることは誰もわからない。ゆえに、自分自身がきちんとした倫理観を持って活動をしていくことが重要だし、それを無くすと自分自身の存在は許せないものだと思う

といったお医者さんがいた。まさにそういうことだろう。

さて、プロジェクトマネジメント「プロフェッショナル」の方たち、倫理感って十分ですか?倫理観でもっとも重要なことは、反社会的な考え方をしないといったことではなく、自身の専門性を常にプロフェッショナルであるに相応しいレベルに保っているかです。

2006年11月26日 (日)

【補助線】コンピテンシーを標準化せよ

まず、最初にお断りしておくが、この記事は特定の企業を誹謗するために書いているものではない。考察は個人の意見であるが、考察の元になったトラブルは事実である。

最近、事務所で、佐川急便のトラブルが多くなっている。それも繰り返しが多い。トラブルは2つ。

(1)時間指定した便が指定時間帯に届かない

(2)アマゾンからのメール便が行方不明になる

これが数回繰り返されている。ちなみに、京都のオフィスだけではなく、東京の仕事場でも同じようなことがある。

もう少し、詳しく説明しよう。(1)は説明までもないだろう。今、佐川急便は2時間ごとに時間指定できるようになっているが、時間指定してもその時間帯を超えることが多い。時間指定するときはスケジュールのあるときなので、たいへん、困る。

(2)は少し説明が必要だ。佐川もヤマトもメール便規格で、うちのポストには入らないものがある。ポストの口が小さいという話もあるのだが、郵便ポストというのはどうやら規格がないらしいので、それは傍におく。

佐川もヤマトもメール便については、

・入らない場合には持ち帰り、荷主に戻す

・メール便については、不在配達は入れない、連絡もしない

・ポストに入れるだけで、直接、渡さない

という業務ルールがあるらしい(もちろん、荷主は了解している)。

佐川の配達員はほぼ、このルールを忠実に守っている。ヤマトの配達員は自分の判断で、入らない場合には、呼び出してくれる。不在の場合には、伝票がないので不在配達票は作れないが、手書きメモで配達員まで連絡をくれるように書置きしてくれる。

これはほぼ例外なくやられている。

2つの会社の標準プロセスはほとんど同じものだ。この違いは何によって生じるのか?

コンピテンシーの標準化によるものだと思われる。実はコンピテンシーの標準については意外かもしれないが、佐川急便の方が先駆者である。業界トップを切って、セールスドライバーというコンセプトをつくり、配達員に顧客接点としてに行動を求めた。

ヤマトはそれを追従する形で取り組んでいるのだと思う。そのコンピテンシーの標準化の質の差がでているといえる。

プロセスの標準については組織として一生懸命やるが、コンピテンシーの標準化は個人の問題だと考えている組織が多い。実はプロジェクトマネジメントでもこの問題があちこちで見られる。

ヤマトと佐川の比較に見るように、プロセスの標準化は当たり前。競争はいかに、コンピテンシーの標準化が展開できるかで決まる。

これは、PMstyleの基本的な思想でもある。

2006年11月 6日 (月)

プロジェクトという箱から出よう

プロジェクトマネージャー養成マガジンの次の書籍読者プレゼントは

アービンジャー・インスティチュート(金森 重樹監訳、富永星訳)「自分の小さな「箱」から脱出する方法

の予定だ。自分の箱に閉じこもって、箱に外にいろいろと影響をするようなリーダーシップでは本質的な問題解決にならず、自ら箱の外に出て、影響を与えていくようなリーダーシップと、そのためには、問題の原因はすべて自分にあるという考え方が重要であるということをストーリー形式で書いた本である。

この本の指摘はプロジェクトマネジメントにとって非常に有益である。プロジェクトマネジメントではしばしば、チームビルディングなどでチームに視点が偏りすぎるために、ついつい、箱の中からプロジェクトステークホルダに対応することが多い。極端な場合には、本来、プロジェクトチームに片足入っているはずのプロジェクトスポンサーすら、箱の外から影響を与えようとすることが多い。

これによって、箱の外で付き合えば味方になるステークホルダを敵に回しているようなケースがおおいのだ。

さらに、チーム内でもプロジェクトチームの中でも、プロジェクトマネジャーが箱の中にいてプロジェクトメンバーを動かしているケースが多い。この背景には、スコープ区分やWBSによって分業をしていることと無関係ではない。

分業をして責任範囲を明確にし、その上でチームが一丸となってプロジェクト目標をクリアしていこうという一見矛盾する考え方であるが、この矛盾をとく鍵が「箱から出ること」にあるのではないかと思う。

箱から出る鍵は、自己原因性(Personal Causation)にある。自分原因説を唱える人も少なくないが、これだ。

プロジェクトチームとステークホルダの間、チームメンバー間、チームメンバーとプロジェクトマネジャー間、いずれも、責任転嫁の嵐が吹き荒れているプロジェクトが多い。しかし、責任転嫁は何も生み出さない。問題を先送りするだけである。

例えば、顧客が忙しくて対応してくれない。「顧客が悪いのだから仕方ない」というのは簡単だ。しかし、それでプロジェクトの状況が変わるかというと決してよくならない。

こんなときには、まず、自分たちに顧客が対応してくれない理由がないのかと考えてみる。これはSIのプロジェクトで実際にあった話だが、ベンダーの担当者を好きになれないので、忙しさにかまけてついつい対応が遅れるというようなことだってあるのだ。

ステークホルダとの問題においてはプロジェクト側に原因がある、メンバー間においては自分に問題があるという視点を持ってプロジェクトを進めていくと、格段にパフォーマンスはあがるだろう。

2006年10月 9日 (月)

PMOの現場力

現場力というのがなんとなくキーワードになってきている。

現場力というのを、経験と混同している人によく会う。これは曲者だ。例えば、PMOのメンバーとして仕事をするのに、PMの経験が不可欠だと考える人が多い。プロジェクトマネジャーの考えを理解する必要があるといった理由だ。

しかし、PMOの現場力というのは少し、違う。現場力というのは現場を見て、ものごとを判断する力である。上に曲者だと書いたのは、経験をすると、自分の経験で現場で起こっていることを無視して判断する危険があることだ。これは大いに気をつける必要がある。

確かに、自分が経験したことが、今、現場でも起こっている可能性はある。しかし、やっぱり違うことの方が多い。お客さんが違えば、きっと違う。ミッションが違えば、やっぱり違うだろう。経験に頼って現場の判断をするというのはかくも危険なことである。

ある意味で、昔取った杵柄で、強硬な意見をいう役員とか、PMOがそんな役回りになる危険もある。そうなったら、プロジェクトの足を引っ張るだけだ。

自分にどんな経験があろうと、謙虚に現場を見る。その上で、自分の経験を使って判断する。そういう力が現場力だ。

ここで、経験で「こんなことが起こっているだろう」と推測するのであれば、経験などないほうがましだ。

言葉がマネジメントを変える

文部大臣が小学生から英語を勉強させる必要はないといって、ちょっとした騒動になった。行政の一貫性を無視した発言なので、発言そのものはどうかと思うが、考え方は与したい部分がある。

英語でコミュニケーションできることはこれまでもこれからも必須である。そして、言語中枢は10歳くらいまでにかなり出来上がってしまうので、小学生から学ばせることが望ましい。この理屈は良く分かる。

しかし、言葉というのは文化である。モノがなければ、単語はない。思考法がなければ、その思考法を具現化するレトリックはできない。典型的な例を挙げれば、否定と肯定だ。例えば、「基本的にそれでよいと思う」という言い方がある。これを英作文しろといわれれば、困る。文脈が明確な中で、合意する前提条件を明確に述べるといったことしか思いつかない。

こういう言い方はビジネスの中で論理的にものごとを進めていく際の障害になるので、歓迎されない。しかし、逆に明確にすることで問題が派生するケースがある。

例えば、顧客の要求を明確にする作業の中で、顧客が「基本的にそれでよいと思う」と言ったとすれば、「だいたい、よいと思うが、まだ自分たちにも見えない部分があるので、それを基本路線として一緒に考えてほしい」というような意味のことが多い。分からないのだから、条件として明確にかけない。しかし、書こうとするので、不完全な条件記述になる。当然、後でトラブルの元になる。こんな感じだ。

どこに問題があるかというと、言葉の背後になる行動様式の違いがあり、そもそも、それは文化に拠る部分が大きい。ソフトウエアの世界でいえば、仕様記述の問題としてワインバーグがこの問題はよく指摘しているし、ユースケースなどが使われだした理由もここにある。ユースケースは英語でも日本語でもない新しい言語ということになり、そこに新しい行動様式、思考様式を築いていこうという試みだ。

マネジメントとか、エンジニアリングでは、多くの場合、欧米から日本に概念を持ってくるので、この逆のケースがよく発生する。プロジェクトマネジメントでもそれはある。

よい意味でもっとも痛感するのがスコープ。この言葉は日本語にはない。だから外来語としてカタカタになっている。スコープという言葉を一つ導入することで、今までやってきたいろいろな工夫も説明できるので、導入に意味がある例。実際に、組織のプロジェクトマネジメントを導入すると、真っ先に普及する言葉はスコープであることが多い。今まで、もやもやしていたのが、霧が晴れたように言葉にできたのだと思う。

逆に、どうかなと思うのが、レスポンシビリティ。例えば、RAMに相当する概念は体制図だと思うが、日本的な業務運用を考えると、RAMより体制図の方が自然だし、定義する意味がある。日本的な考え方では責任とは連帯責任であり、いろいろな意味でプロジェクトを最後まで成し遂げるためにはプラスに働くことが多い。極論すれば、WBSがなくても、職務記述があれば、やってしまうのが日本の組織である。

PMBOKがこのやり方よりよいなどとは言い切れないだろう。民主党が農業政策として付加価値を全面に押し出した政策を主張しているが、工業の分野でも同じような特性がある。少なくとも、日本人は、このやり方で高い付加価値の商品を生み出してきた。これは日本人のDNAであり、文化でもある。

このような文化の中に、不用意に新しい言葉を入れると、琵琶湖の外来魚のようになってしまう可能性がある。外来魚が従来の生態系を壊したように、その言葉が文化を壊してしまう可能性がある。

技術をどんどん、欧米から導入するのは明らかにプラスである。しかし、マネジメントを不用意に入れるのは、日本人のコアコンピタンスである現場を壊してしまう可能性が高い。そろそろ、考えるべきときに来ている。

2006年9月19日 (火)

PMコミュニティ考

今年も11月の最初にPMI東京のフォーラムが開催される。プログラムが発表になったので見ていたら、ずいぶん、コミュニティ色が強いフォーラムになってきた。学会は別にすると、日本の職業人のフォーラムで、これだけコミュニティ色が強いのも珍しい。

発表の大半が、研究会の成果や、会員による自主的な発表である。まさに、コミュニティの本来あるべき姿といったところだ。素晴らしい。

いろいろとご苦労もあるようだが、PMI東京の事務局、リーダの方の活動には頭が下がる思いである。

このメールマガジンもコミュニティができれば思ってやっているが、PMにとってコミュニティというのは、特別な意味を持つものだ。

まず、何よりも、他社のプロジェクトマネジャーとの交流ができる。交流の中で、新しい知が生まれる。

これがなぜ、重要か?プロジェクトマネジメントは新規性との戦いである。確かに新規性の中には世の中にないといった新規性もあるが、自分の所属する企業や組織の中での新規性というのも少なくない。これはひょっとすると、他の企業や、他の組織で経験していることかもしれないのだ。

2つの同じ経験が出会えば、新しいアイディアが生まれるかもしれない。

初めて × 経験 のコラボレーションも新しいアイディアを生むかもしれない。

いろいろな人の経験が混じり、新しい知見が生まれる。そんなコミュニティを作りたい。

2006年9月12日 (火)

【補助線】泥臭さの消えたプロジェクトマネジャー

PM養成マガジンを始めたころに、

 「PMBOKは叡智か陰謀か」

  http://www.pmos.jp/honpo/note/note3.htm

という記事を書いたことがある。この記事についてはおそらく、メルマガセミナーなどの機会に10人以上の人と議論をしたと思う。

この記事は競争という視点で書いているのであまり理解してもらえないままだったような印象があるが、この記事を書いたときに漠然と思っていたことが現実になってきたように思う。

この記事を書いたときに思っていたのは、日本の産業は泥臭さを捨てたらおしまいだということだった。PMBOK導入にその危険を感じていた。

そもそも論を言えば、日本人はこの種の形式化をするのが下手である。というよりも、したがらないといった方が正しいかもしれない。よい例がトヨタのカンバンだ。この仕組みを、技術的に捉えなおしたのは、日本の研究者でなく、アメリカの研究者だった。

日本人の研究者の能力が云々というよりも、社会的にこの部分は守らなくてはという意識が研究者に二の足を踏ませているように思う。平たくいえば、そんな研究をしても、産業界から支援を受けることはできない。

理論化をすることは素晴らしいことだが、同時にそれは誰にでもできるようになることを意味している。ここに突入することは自殺行為だと直感的に分かっているのだ。

プロジェクトマネジメントで起こっていることはまさにこれだ。確かに、組織としての能力は上がってきたと思う。しかし、泥臭く、すごいことをやってくれるプロジェクトマネジャーが少なくなってきている。

プロジェクトXにならないように、プロジェクトマネジメントをしましょうはいいのだが、プロジェクトXができなくなっては話にならない。これも何度か議論した。

 「PMBOKではプロジェクトXはできない、いや、できる」

アニメーションの例を引き合いに出すまでもなく、日本の強い産業は職人的なところである。思いっきり泥臭いところである。

すごいことをしてくれるプロジェクトマネジャーがなくなったことはかまわないといえばかまわない(産業的には大問題だが、、、)

しかし、プロジェクトマネジメントを生命線とする企業で起こっているもう一つの問題は、問題は、プロジェクトに現場感がなくなってきたことだ。プロジェクトマネジャーがデスクワークを重視し、泥臭さがなくなってきた。これはいくつもの組織で感じている。

泥臭さが消えたプロジェクトマネジャーにはメンバーはついてこない。それどころか、メンバーの泥臭さを否定するようなプロジェクトマネジャーすら出てきた。

そろそろ、「是正」の時期に来ているように思うが、みなさんはどう思われるだろうか?

2006年9月10日 (日)

【補助線】「夜王」に学ぶマネジメント

僕の好きな倉科遼氏の書いたコミックスで、夜王というコミックスがある。テレビドラマでもやっていたが、新宿歌舞伎町を舞台に一人のホストの成長を描いた物語だ。

408876462509 倉科遼「夜王

このコミックスを読んで、ホストの行動規範、思考規範に興味を持った。

二つ三つ考えてみてほしい。

(1)あなたは顧客の満足を得るのにホストのような行動ができるか

(2)あなたは派閥の長として、ホストのリーダーのようにチームのパフォーマンスをあげるがことができるか

(3)あなたは組織をまとめ、組織を拡大にするためにホストクラブの店長のような行動ができるか

(1)。何でもお客の言いなりになるホストに顧客満足は生まれない。顧客をコントロールし、自分のイニシャティブの中に引き込んで、そこで素晴らしいサービスを提供して、初めて、顧客の満足は生まれる。これ、ビジネスでもまったく一緒。

(2)。チームのメンバーのココロを掌握ができないホストに、顧客を満足するサービスは提供できない。自分のロジックではなく、相手のロジックの中で、何を支援すれば相手のパフォーマンスが上がるかを考える。これ、チームマネジメントの基本中の基本。自分のロジックの中で一生懸命どうすれば相手が動きやすいかを考えてもパフォーマンスはあがらない。

(3)。リスクがあることを察知し、しかし、あきらめない。如何にそのリスクを小さくするを全知全能を絞って考える。リスクが見えた時点で、君子危きに近寄らずこそがリスクマネジメントだといっていたのでは、組織としての成功はない。

これらはまさしく、プロジェクトやプログラムのマネジメントのコアな部分である。

PMstyle 2024年4月~6月Zoom公開セミナー(★:開催決定)

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好川哲人

技術経営のコンサルタントとして、数々の新規事業開発や商品開発プロジェクトを支援、イノベーティブリーダーのトレーニングを手掛ける。「自分に適したマネジメントスタイルの確立」をコンセプトにしたサービスブランド「PMstyle」を立上げ、「本質を学ぶ」を売りにしたトレーニングの提供をしている。