【補助線】経験から賢く学ぶ
◆賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ
ドイツ帝国初代宰相のオットー・フォン・ビスマルクの有名な言葉に、
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ
という言葉がある。プロジェクトマネジメント関係者の中には、歴史を「自分以外の経験」と読み替える人が多い。たとえば、自分が担当した以外のプロジェクトの経験に学ぶ。この読み替えは正しいのだろうか?
話は変わるが、かつて、高度成長期の日本は経験至上主義だった。特に、定型的な業務を行うときには経験は極めて重要である。求人のときに経験者が優遇されるのは、経験が重要だからである。
定型的な業務では、学びより、覚える(倣う)ことが重要である。仕事を覚える。覚えるためには、理屈よりは経験だ。ゆえに、経験は重視される。これは別に日本に限ったことではない。どこの国に行っても同じだ。
ところが、マネジメントのような非定型な業務になると話はそう簡単ではない。経験がいらないかというと、経験は必要である。しかし、覚えるだけではうまく行かない。そこで、「学び」が必要になってくる。
◆直近のプロジェクトと10年前に実施したプロジェクト
冒頭の話に戻るが、学ぶ方法はいくつもある。まずは、自分の経験だ。そして、人の経験。そして、それが長じれば歴史ということになる。人の経験と歴史は違うのか、同じなのか。たとえば、直近に完了したプロジェクトと10年前に実施したプロジェクト。どちらが学ぶことが多いか?
多くの人は、プロジェクトの実施環境や業務内容が近いということで、直近だと答えるだろう。これは、学びではなく、倣いの発想だ。非定型な業務の中でも、倣いの意味があるのは、リスクマネジメントである。失敗したから、その原因をリスクとして次のプロジェクトでは発生しないようにする。これは、これで意味がある。
◆10年前の方が意味があること
たとえば、WBSのワークパッケージのサイズをどのくらいにブレークダウンすればよいかという問題に対してはどうだろうか?この問題にはいろいろな視点がある。スコープ管理(変更管理)のしやすさ、担当割り当てのしやすさ、リスク管理のしやすさ、など。いずれにしても、直近のプロジェクトが成功したとしても、そのプロジェクトで行った方法が妥当かどうかはわからない。
たとえば、メンバーのモチベーションをどのように維持するかという問題。直近のプロジェクトでは和気あいあいとしたチームの雰囲気を作り、プロジェクト作業への従事時間帯を決め、それ以外は好きなときに仕事をしてよいことにした。直近のプロジェクトはこの方法でうまく行ったのだが、適切かどうかは分からない。たまたま、このようなやり方が合うメンバーがそろっていただけなのかもしれない。
そのように考えてみると、単に他人の経験に学ぶだけでは、賢者であるとは言えない。歴史に学ぶとは、歴史の荒波を超えてきたものに学ぶということである。人文・社会科学の場合、これは「客観性」の議論となり、すなわち、理論に学ぶということになる。
◆学ぶために必要なこと
さて、ここで学ぶということはどういうことかを改めて考えてみたい。学ぶとは、得られた情報に基づき、経験則を変えることである。自分の経験に学ぶとは、新しい経験により、これまでの経験則を変えなくていいかどうかを検証することであり、必要に応じて変えることである。
学ぶためには、経験則を形式化することが不可欠である。頭の中で漠然と経験則を持っていても、新しい経験により、それを修正していくのは至難の業である。また、理論と突合せをしてみる場合にも同様である。
経験則が「頑固」につながる原因は実はここにある。自分の今の考えが形式化できていないと、新しい経験(情報)は、全肯定か、全否定になってしまうことが多い。新しい情報をフィルター(色眼鏡)をかけて眺め、結局、同じことを言っているだけではないかとか、現実的ではないとか、一括して、評価してしまう。結果として自分の経験則は何も変わらない。
◆学ぶイメージ
以上のように考えていくと、学ぶことのイメージが見えてくる。まずは、持論を整理する。ここがスタート地点になる。初期の持論は経験のみから作ってもいい。その持論を持って、持論を展開してプロジェクトを実施する。そこで、新しい経験が生まれ、その経験を統合して新しい持論が生まれる。持論を統合するときに、必要に応じて歴史に学ぶ。つまり、先人が言っていることと、持論で考えていることの整合性を見る。アライメントをする必要はない。持論の中に自分の新しい経験と同じように取り込んでいけばよい。
ここで問題は、経験が具体的なものだが、理論は概念的なものである。このギャップを埋める必要がある。そのためには、経験を理論に当てはめてみるとよい。ある経験は、理論的にはどのような行動になるのか。
これを繰り返していけば、経験も持論も新しい持論に練りこまれていく。これが学ぶということではないだろうか?
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