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2009年4月30日 (木)

【補助線】チームを前提にしたプロジェクトマネジメント

◆なぜ、商社が成り立つのか

PHPから発行されている雑誌「Voice」から、雇用問題をテーマに記事を選んで一冊の本が発行された。

クビ切り不要!

という本だ。

この中に、伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎氏と東京理科大学教授の伊丹敬之先生の対談記事が採録されている。「人を大切にする経営」という記事。伊丹先生は一橋大学の時代から、人本経営を説かれている方である。

この記事がたいへん、おもしろい。この中に、総合商社に関する伊丹先生のこんな発言がある。

商社という組織の経営がなぜ成り立つかというと、まさにチーム力があるからです。アメリカ型の「あなたの役割はこれ」と、仕事を分解していくようなやり方では、とてもできません。それこそ、人のつながりを大事にして、安定的にやっていくからこそ、組織全体が発展する。これは商社に限らず、製造業も銀行も皆一緒でしょう。
(同書、22p)

これに対して、丹羽氏が答える。

じつは伊藤忠商事で昔、日本の商社と同じものをアメリカにつくってほしいと頼まれ、人を派遣したことがあります。ところが絶対に成功しない。彼らは個人主義ですから、隣の人と同じチームでやれといってもどうもうまくいかない(同書、22p)

なるほどと思った。

総合商社は、日本が世界に誇るビジネスモデルである。このやりとりを読んで、ずっと昔から、もやもやしていた2つの疑問が氷解したような気がした。

◆日本ではチームは「前提」である

一つ目は、日本人はチームマネジメントを必要とするのか?という疑問。必要だという理屈はいくらでもある。生産性向上、グローバル化、ダイバーシティマネジメントなど。

これらはいかにももっともらしいが、よく考えてみると、手段に過ぎない。では、何の手段かというと、

・チームや個人の生産性や創造性を高める
・個人のワークモチベーションを高める

の2つの手段である。チームマネジメントの常套手段はこのために、多様性を高め、お互いに考えを認め合うことである。

総合商社を考えてみると、日本では実はこれらはすでに達成されていたのではないかと思えるだの。よく日本人は画一性を求めるといった批判を聞くが、これはおそらく正しくない。たとえば、宗教。宗教を巡って100年間も戦争するような発想もないし、飛行機でビルに飛び込むような行動もとらないだろう。

すべてを認めるのだ。ただし、日本人の認める態度は、若干、複雑だ。認めていることを宣言するものではなく、とやかく言わないという認め方だ。よく考えてみると、とやかく言わないというのは最大限の敬意を払っているのかもしれない。少なくとも、日本的なコンテクストを共有する社会の中では、最大限の敬意を払っていることになるのは間違いない。

ここを問題視する人もいる。認めるというのは、そのことを宣言して、積極的に協力すべきだというのだ。これも正しいと思うのだが、反面、日本企業のビジネスマンの行動はそんなに単純ではないとも思う。

たとえば、プロジェクトマネジャーのビジョンには共感できないが、組織のためのプロジェクトを成功させなくてはならないという思いが強く、計画を無視してでも、現場調整し、プロジェクトを何とかしようとするタイプのメンバーがいる。プロジェクトマネジャーもそれでうまくいきそうだとしたら認めてしまう。

このような現場こそが企業の足腰であるが、内部統制によって足腰が弱ってきた。この世界には一見、統制だとか、権限委譲だとかといった話はないようにみえるので、内部統制が大好きな人は、そんなやり方では世界に通用しないという。そもそも、このような発想が日本的であると思うのだが、ここではそれはさておき、この解釈は正しくない。

実はこのようなスタイルの活動はきちんと統制されている。米国の考え方は統制の単位が個人である。この感覚が日本人には合わない。なぜなら、伊丹先生や丹羽会長の指摘からもわかるように、日本企業は「チームが前提になっている」からである。チームに対しては責任は明確であるし、責任感も強い。このガバナンスマネジメントのあり方こそが、日本企業の強みである。

このような活動はおそらくPMBOKの枠組みでは整理(統制)しきれないように思うかもしれないが、実は整理できる。教科書的には正しくないが、WBSとワークパッケージ、OBSという仕組みは実によくできた仕組みで、個人を管理するだけではなく、チームを管理するための仕組みとしても使えるようになっている。

余談であるが、大学院に通学していた頃に、個の自立を説く金井先生にチームで管理するという話をしたらまったく理解して頂けなかったことがある。確かにこういう枠組みを設定すると、米国流のチームとは違って、チームの中では自然と年長者を敬うとかいう雰囲気が出てくるし、それをおもしろいと感じない人もいる。しかし、それは子供が大人になっていくための仮定に過ぎない。年長者には知恵と人脈がある。若い人には行動力や思考力という武器がある。それを一つの単位として考えるというのは究極のダイバーシティマネジメントである。

これが自然にできているのだから、当然のことながら、改めてチームをうまく動かすにはどうすればよいかなどといった議論がされる余地はないだろう。

◆日本ではすりあわせも「前提」である

もう一つ。プロジェクトマネジメントのスタイルに関する議論だ。伊丹先生は、かねてより、日本企業の強さはチームによるすりあわせにあると指摘されている。この逆がパソコンに代表される水平分業である。

パソコンをみている限り、水平分業は価格優位性を保つための手段である。それ以上ではない。問題はプロジェクトに水平分業を持ち込むことが好ましいのかという点だ。

現実をみている限り、永久に欧米には追いつけないだろう。その象徴はITだ。かつて、日本企業はプロジェクトマネジメントでIBMに10年の遅れをとっていると言われていた。IBMは現場マネジメントからすでに次のフェーズに移っており、日本企業も現場は似たようなレベルになってきたが、その距離は依然として縮まっていないような気がする。やはり、10年遅れている。

何が始まっているかというと、組織的プロジェクトマネジメントによって一旦、水平分業されたプロジェクトの仕事をすりあわせて行くような動きが見られる。一つのプロジェクト内をみてもそうだし、プログラム内の複数のプロジェクトをみても同じだ。

問題はこの議論の行き着く先だ。チームマネジメントの行き着く先は上に述べたように日本型のマネジメントだと思う。センゲなどの示唆は明らかにその方向を向いている。

では、プロジェクトマネジメントが行き着くさきはどこか。幻想かもしれないが、日本型のマネジメントではないかと思えて仕方ない。

チームマネジメントしかり、プロジェクトマネジメントしかり、日本は周回遅れの相手の後ろ姿を追いかけているような気がして仕方ない。そんなことを感じる、実業界と学会の巨頭の対談である。

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好川哲人

技術経営のコンサルタントとして、数々の新規事業開発や商品開発プロジェクトを支援、イノベーティブリーダーのトレーニングを手掛ける。「自分に適したマネジメントスタイルの確立」をコンセプトにしたサービスブランド「PMstyle」を立上げ、「本質を学ぶ」を売りにしたトレーニングの提供をしている。