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2008年9月 7日 (日)

【補助線】チームについて考える

◆米国流チームと日本流チーム

チームの書籍が目立つようになってきた。なぜ、今という気もするが、出版業界の戦略としては、そろそろ、個人向けの啓蒙本にかげりが見えてきたので、しばらくは別のところでといったところなのだろう。

チームといえば、PMIの示しているプロフェッショナル責任の中に「チームや利害関係者との協調関係」という項目があるように、プロジェクトマネジャーにとっては苦手の一つである。

以前、日経BP社の谷島編集委員に弊社のセミナーに出ていただいたときに、「日本人はチームワークを小学校のときから教え込み、チームワークがよいとされてきたが、プロジェクトをやってみるとそうでもないということがわかってきた」といわれていたが、さしむき、こんなところだろう。

なぜ、このような勘違いが生じるのか?一言でいえば、米国人の考えるチームは個ありき、日本人の考えるチームは集団にもかかわらず、それがチームだと考えているからだ。

◆集団行動とチーム行動

今、40代の人たちであれば小学校の通知表の行動評価の項目を思い出してほしい。協調性というのが何よりも大切にされているのだが、いくつかの項目を見ると、個を認めない協調性である。言い換えると滅私といってもよい。したがって、チーム行動というのは自然にできる、というか、集団行動といったほうがよいだろう。ひとことでいえば、多様性を認めないのがよいチームという価値観を作ろうとしていたのだ。

この価値観は脈々と生きていて、少なくともバブルの前までは会社という集団もそうだった。阿吽の呼吸が通じる世界だ。会社全体がそうなのだから、会社の中の一部の人間の集まるプロジェクトチームでも当然、同じような性格を持っている。だから、プロジェクトを立ち上げたときに固めの杯ですぐにチームができてしまう。チームビルディングは要らない。

◆責任の所在

この状況はプロジェクトチームでも同様なのだが、プロジェクトチームの運用において何が違うのかという点について考えてみたい。違うのは責任に対する考え方である。個をベースとする組織では責任はどこまで責任は個人にある。

プロジェクトチームの最終責任はプロジェクトマネジャーにあると思われる人もいると思うが、それはプロジェクトマネジャーにはプロジェクトマネジャーの責任があるということに他ならない。メンバーの失敗の責任をプロジェクトマネジャーが負うことはない。しかし、それがプロジェクトパフォーマンスに影響を及ぼすと、プロジェクトマネジャーの責任が問われる。

これに対して集団(日本型チーム)は、連帯責任である。したがって、メンバーの失敗であっとも対応にもたつくと、プロジェクトマネジャーまで責任を負わなくてはならなくなる。ここをきちんと整理しておかなくてはならない。

◆1+1>2のためには多様性が必要

では、どちらがいいのかということになるが、もうひとつの視点から考えてみたい。チームとは2人で2人以上のパフォーマンスを発揮する集団であるという定義がある。なぜか?日本的なチームで2人が3人分の仕事をするということは考えにくい。同じような考え、同じような行動をとる人が集まっても何かが変わるということは考えにくい。異質なものが入るので、そこに何かの反応が起こり、通常では考えられないようなパフォーマンスが生まれる。

このように考えると、チームを作るには、まずは本当の意味で個を認める、そして、その上でチームワークを作っていくチームビルディングに取り組んでいく必要がある。

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好川哲人

技術経営のコンサルタントとして、数々の新規事業開発や商品開発プロジェクトを支援、イノベーティブリーダーのトレーニングを手掛ける。「自分に適したマネジメントスタイルの確立」をコンセプトにしたサービスブランド「PMstyle」を立上げ、「本質を学ぶ」を売りにしたトレーニングの提供をしている。