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2009年2月25日 (水)

【補助線】PMBOKは本当に日本に馴染むのか

昨年末に、新しいバージョンのPMBOK(R)が出た。

日本には2万人以上のPMPがいる。一方で、未だに、「プロジェクトマネジメントの定着化」といったセミナーをやると多くの人が参加してくれる。どういうことなのだろうか?

4年に一度の機会なので、少し、いくつかの視点から論考してみたい。

◆米国組織の特性

冷泉彰彦さんという方が、

冷泉 彰彦「アメリカモデルの終焉、金融危機が暴露した虚構の労働改革」、東洋経済新報社(2009)

の中で、米国企業における成果主義の前提となっている組織の特性をいろいろと解説してくれている。この本を読んでいると日本で米国流のプロジェクトマネジメント(PMBOK)がうまく行くには、ドキュメント化vs暗黙知といった表面的な話ではなく、成果主義同様、相当な制度と価値観の変革が必要だと思い知らされる。

ヨコの軸:同じレベルの他の同僚との間で、お互いの守備範囲をどう決めているか
タテの軸:一人の社員が上下関係の中でどう位置づけられているか
時間軸:長い年月の中で評価対象期間がどういう意味を持つか

の3つの軸を設定して説明している。詳しくは本を読んで戴くとして、かいつまんで説明する。

◆お互いの業務領域に立ち入らない

まず、ヨコの軸では、「お互いの業務領域を侵犯しない」ことが大前提になっている。同僚が困っているからといって、助け船を出すのは御法度。レストランの例を引いている。レストランにはディスパッチャーという役割の人がいて、客にテーブルを割り振り、メニューを渡す。ディスパッチャーは絶対に注文はとらないし、本日のスペシャルの説明をすることもない。ディスパッチャーに誘導されて客がテーブルにつくと、サーバーがやってくる。飲食物のセールス機能に限定される。空いている食器を下げることはしない。それは、アシスタントの役割になる。サーバーはテーブルごとに固定されていて、他のテーブルから声をかけられても対応することはない。

◆強力な権限を持ち、高い能力を要求される管理職

次にタテの軸。タテの軸の米国組織の特徴は、「採用権限」、「評価権限」、「解雇権限」の人事三権をすべて管理職が握っている。日本のように本社による新卒一括採用のような制度はない。つまり、米国では管理職は部下の生殺与奪の権限をもっており、これを背景にした評価を行っている。これがパワーの源泉である。もう一つ、パワーの機能する背景として、学位や資格の逆転現象を避けることを原則にした人材配置の考え方がある。管理職になろうとすると、その分野での修士号や資格が必要になる。採用権限を管理職が持つので、オーバークオリファイドは不採用の理由になるくらいだ。このため、管理職は能力や知識の上で部下の上に立つ必要がある。日本のように、説明を求められたときに部下から説明させるというのはあり得ない。例えば、課長が部下より能力に劣ると部長から判断された場合には、課長はクビになり、部下が課長になるというのが基本である。

◆単年度精算主義

最後の時間軸では、米国は対象期間が明確であり、その期間で「精算」をする。つまり、その期間の業績についてはっきりさせ、次の繰り越さない。冷泉さんはこれを「単年度精算主義」とよんでいる。この意味するところは2つある。ひとつはキャリアパスの単年度精算である。日本のように将来のための踏み台などといったキャリアはあり得ない。会社が給料を払いながらキャリアを開発するという発想はなく、キャリアは個人の責任である。従って、キャリアアップは転職がベースになる。

このような評価やキャリアに対する考えは、事業の性格も変化させる。事業目標の設定も単年度で、キリのよいものになる。研究開発のように時間がかかる業務においては、中間目標が厳格に設定される。

かいつまんでと言った割に長くなったが、読んで見てどのような感想をお持ちだろうか。

人事制度は日米に関係なく組織によってまちまちであるので、ステレオタイプ的な指摘になっているだろうリスクはあると思うが、冷泉さんはキャリアの半分を日本、半分をアメリカで過ごし、かつ、民間企業と教育機関の両方のキャリアを持っているので、そんなにバイアスはないように思える。

むしろ、このような実態を読んで見ると、なぜ、成果主義というのが生まれたのか非常によくわかるし、合理的な制度になっていることもよくわかる。その意味でも、米国組織に対する認識は妥当性が高いのではないかと思う。

◆プロジェクトマネジメントは米国モデルの象徴である

さて、ここで考えたいのはプロジェクトマネジメントである。

この本を読み進めて行くにつれて、プロジェクトマネジメントがなぜ、今のような考えになっているのかがよくわかる。

例えば、ヨコの軸を考えると、なぜ、WBSとか、OBS、さらにはRAMを作るのか、なぜ、コミュニケーションマネジメントが必要なのかなど。タテの軸を考えると、なぜ、プロジェクト憲章があるのか、なぜスポンサーシップという考え方があるのか、なぜドキュメントがうるさく言われるのかなど。時間軸を考えると、そもそも、なぜプロジェクトという考え方があるのか、なぜスコープマネジメントが必要なのか、なぜプログラムマネジメントが生まれたのかなど。

その意味で、成果主義と並んで米国モデルの象徴かもしれない。

冷泉さんの論旨は、このような組織的な前提があるにもかかわらず、日本の組織ではそこを変えようとせず、日本型と称して適当に制度をねじ曲げて導入しようとしているが、根本が違うのでうまくいくはずはないというもの。

◆前提にあわすか、前提をあわすか

この本を読んでいるとPMBOK流のプロジェクトマネジメントが日本でうまく行くはずがないとつくづく思う。PMBOKというのはもう20年になるだけあって、大変よくアジャストされている。上に述べたように、米国の組織や人事制度を前提にすると、完成の域に近づいているといってもよい。

ただ、日本ではその前提そのものが違う。

古い中国人の友人がいる。彼は北京大学を卒業し、京都大学の博士課程に留学した。そして、日本で7年ほど働き、今は中国に帰国して、ソフトウエア開発の会社をやっている。彼が4~5年前にPMBOKを見たときに、これは日本より中国に合うといっていた。前提の部分がよく見えていたのだと思う。

さて、問題はどうするかだ。論理的には答えは2つしかない。前提を変えるか、前提に合せた手法を考えるかである。

むかし、ERPのセミナーでこんな話を聞いたことがある。日本人は身体に合わせて洋服をアジャストしようとする。器用なのでそれなりにやってしまうのだが、洋服では和室では非常に暮らしにくいということに考えが行かないと批判していた識者がいた。成果主義の話などは、まさにこの指摘が当たっているのだろう。

前提が変わるのか、前提を変えると幸せになるのか?この辺りをよく考える必要がある。

※PMBOK、PMPは米国プロジェクトマネジメント協会(PMI)の登録商標です。

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好川哲人

技術経営のコンサルタントとして、数々の新規事業開発や商品開発プロジェクトを支援、イノベーティブリーダーのトレーニングを手掛ける。「自分に適したマネジメントスタイルの確立」をコンセプトにしたサービスブランド「PMstyle」を立上げ、「本質を学ぶ」を売りにしたトレーニングの提供をしている。