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2009年2月27日 (金)

【補助線】「正解への呪縛」から解き放たれる

◆マネジメントには正解はない。

この言葉自体はだんだん浸透しているように感じることが多いが、実態はどうか?

ずっと僕が思って気になっていることがあって、この本を読んでいたら、同じことが書いてあったので、この際、虎の威を借りて、言ってみようと思う。

藤井 清孝「グローバル・マインド 超一流の思考原理―日本人はなぜ正解のない問題に弱いのか」、ダイヤモンド社(2009)

ちなみに、藤井さんは最近、テレビのコメンテータなどもされているのでご存じの方が多いと思うが、マッキンゼーでコンサルタントをされたあと、ケイデンス、SAPなどいくつかの企業で社長をされた後に、ルイ・ヴィトンの日本法人のCEOをつとめられ、現在はベター・プレイスという電気自動車の電池のインフラを事業化する会社の日本法人の代表取締役である。

これで藤井さんは十分に虎になったと思うので、そろそろ、藤井さんの指摘を紹介しよう。この本で藤井さんは、日本人は正解があると正解に向けての問題解決においてすばらしい能力を発揮するが、正解がないとうまく対応できない。これがグローバル社会で成功できない理由であると指摘されている。ここまではよくある指摘。

◆「現場主義」、「顧客主義」の背景

藤井さんの意見で、本当に紹介したいのは、このあと。少し、引用させていただこう。

日本企業が得意な「現場主義」、「顧客主義」も、答えは「現場」と「お客様」にあるという考え方で、「現場で実際に動くもの」、「お客様の欲しいもの」は答えとして存在する。

と指摘されている。

僕はちょうど2年くらい前から、現場力という課題に真剣に取り組むようになった。もともと、遠藤功さんのいうような現場力の考え方に共感を覚えており、プロジェクトの世界になんとか持ち込みたいと思っていたからだ。

それで、現場力が重要だと言っている人たちと何人も意見を聞いてみたが、すぐに限界を感じた。ほとんどの人が言っているのは現場力ではないと思うようになったからだ。その理由が、この本で藤井さんが指摘していること。単に、現場で実際に動くものを生み出す能力を現場力と言っているに過ぎない。つまり、「現場で実際に動くもの」という正解を追い求める「問題解決能力」に過ぎないと思えたからだ。藤井さんの本を読んでいるとこの判断は正しかったと思う。

顧客の問題はついてももっと前から、違和感を感じていた。顧客のいうことをきちんと聞いて実現することが重要だとよく言われる。これにずっと違和感を感じている。顧客のいうことを聞いて顧客が満足するのであれば、顧客は専門家に仕事を頼まない。顧客を満足させるという問題の答えは他にあるのだが、それを見つけることができない。一方で、追いかける正解が欲しいので、顧客主義を唱えているように見えている。

要するに、正解がない状況では仕事ができないので、無理矢理に正解を祭り上げ、現場主義とか、顧客主義とか言って正当化しているに過ぎないのだ。

この2つは少なくとも現場では「聖域」で、僕のような発言力の無いものが発言しても反感を買うだけだと思って触れないことにしていた(経営スタッフには気がついている人は結構いて、その人たちとは話をすることがあった)。藤井さんの本を読んだときに、我が意を得たりで、すっきりした。

◆正解へのアプローチでは失敗は許されない

ついでに藤井さんの言葉を借りて言っておこう。藤井さんは、上のフレーズの続きとして、

この考え方がそのまま引き継がれ、活かされているのがメーカーの工場だ。明確な生産目標、品質改善、コスト低減という「正解」が存在する世界であり、いったんそれらの「正解」が目標に設定されると、目標を達成するための馬力と創造力は、日本のメーカーのお家芸だ。現場の知恵を集約した生産ライン、無理を聞いてくれるサプライヤー、顧客からの仕様変更への素早い対応など、普段からの蓄積が花を咲かせる分野だ。そして、従業員は「ミスをしない」「自分勝手なことをしない」といった考えをすり込む必要があり、日本の初等教育で受けた基本がそのまま活かせる日本のメーカーの現場が強いわけだ。

と指摘する。

つまり、プロジェクトも含めて、失敗をしないようにするというのは意図的に正解を作ることによりパフォーマンスを高めてきたやり方の弊害である。だから、失敗してもよいという理屈にはならないが、正解がないことを自覚すれば、もっとよい仕事ができるのではないかという思いはある。これが今のプロジェクトマネジメントの抱える問題の一つである。

◆正解への呪縛

さらに、藤井さんはこう続ける。

世の中に「正解」が存在するはずだという、「正解への呪縛」の精神構造は、日本に根深くあると感じる

その通りだなあと思う。「正解への呪縛」とは言い得て妙である。

◆問題解決のスコープを変える

では、呪縛からの逃れるためにはどうすればよいのか?答えは問題解決の捉え方にあるように思う。

日本人はこの呪縛のために、問題解決を非常に狭いスコープで捉えている。つまり、正解(あるべき姿)があることを前提に、正解に近づけるためのアプローチを問題解決だと思っている節がある。このスコープを変えればよい。

◆問題意識とは何か

ちょっと話を変えるが、問題意識という言葉がある。あの人は問題意識が低い。あの会社は問題意識が高い。など。問題意識というのは問題を定義し続ける能力である。

「最近の若いものは問題意識が低くなってきた」というシニアマネジャーが多い。これは何を意味しているのだろうか?確かに、昔は問題意識が高い人が多かった。今は、少なくなった。ただ、これは人の変化ではないように思う。問題意識は、あるべき姿があるところに生まれる。

藤井さんが指摘するように高度成長期は正解というあるべき姿があり、したがって、足らないものもはっきりしていたし、かつ、それは物的なものが多かった。

今の時代は、正解がない。問題意識を持つには、組織なり、個人なりがあるべき姿を描かなくてはならない。これが全くできていない。組織であるので、個人の問題意識は組織の問題意識と無関係ではいられない。そう考えると、問題意識を持たなくてはならないのは、若い社員に問題意識が足らないと言っている張本人、組織のグランドビジョンを示す立場にあるシニアマネジャーなのだ。

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好川哲人

技術経営のコンサルタントとして、数々の新規事業開発や商品開発プロジェクトを支援、イノベーティブリーダーのトレーニングを手掛ける。「自分に適したマネジメントスタイルの確立」をコンセプトにしたサービスブランド「PMstyle」を立上げ、「本質を学ぶ」を売りにしたトレーニングの提供をしている。