イノベーションに必要なマインドセット
ピーター・シムズ(滑川 海彦、高橋 信夫訳)「小さく賭けろ!―世界を変えた人と組織の成功の秘密」、日経BP社(2012)
お奨め度:★★★★★
facebook記事:「素早し失敗、素早い学習を繰り返す」
シカゴ大学のエコノミスト、デビッド・ガレンソンによるとイノベーターには、「概念的イノベーター」と「実験的イノベーター」の2種類がいるという。概念的イノベーターは非常に大胆に新しいアイデアを追求し、多くは若くして業績を上げる。著者は概念的イノベーターの典型としてモーツァルトを上げている。天才であるが、天才はそうそういるわけではなく、多くのイノベーターは実験的イノベーターである。実験的イノベーターは実験を好み、試行錯誤を繰り返す中で徐々にブレークスルーをしていく。彼らは、ゴールに向かうときに、失敗や挫折を恐れずに執拗に努力をする。その代表はエジソンであり、音楽家でいえば、徐々に自分の形を作っていったベートーベンである。
この本は実験的イノベーターがどのように成功をおさめるかを分析している。成功した実験的イノベーターの手法を紹介している。試行錯誤といっても、行き当たりばったりということではなく、むしろ、分析的であり、戦略的である。
この本の実験的イノベーションの事例は芸術性を追求するアーティスト、向こう気の強い起業家、軍事戦略家、ソフトウエアのアジャイル開発者などから、取られており、共通するのは、「デザイン思考」の考え方が取り入れられていることである。彼らに共通しているのが、「素早く失敗、素早い学習を繰り返す」ことである。言い換えると、本書のタイトルにあるように、「小さく賭ける」ことだ。
「小さく賭ける」そのための原則は
・実験する
試行によって学ぶ。素早く実行し、素早く失敗して、教訓を引き出す
・遊ぶ
即興とユーモアにあふれた遊びによって心をリラックスさせ、心の束縛を解く
・没頭する
新鮮なアイデアや洞察を得るために外界に飛び出して、全身で環境に浸る
・明確化する
全身で吸収した情報に基づく洞察を利用して、問題を再定義する
・出直す
小さな勝利をきっかけに思いがけない出直しのチャンスが訪れたら、逃さない
・繰り返す
何度も繰り替えし問題に取り組み、テストを重ねるうちに知らず知らずの間に、優れた知識、経験、洞察が蓄積されていく
の6つである。本書は、これらの原則を、成功した実験的イノベーターがどのように実践したかを取材に基づき、明確にしている。
まず、なぜ、多くの企業が大きな賭けにでるのかを解明している。企業が大きくなると、売り上げが大きくなる。すると、賭けの金額を大きくしないと、経営への好影響が得られないからだ。
ところが大きな賭けは難しい。したがって、成功する確率が低い。HPの例を上げれると、300億ドルの売り上げを持った時に、10億ドル以上の投資だけを検討し、実際に投資したプロジェクトは全滅だった。
これとは逆に、小さな賭けで成長していったのが、アップルを追放されたスティーブ・ジョブズが買い取ったピクサーだった。ピクサーはハードのメーカーだったが、ジョブズの買収を機に、アニメーションを手掛けた。そして、CM用の短いアニメーションで成功を重ね、長編の劇場映画のスタジオに変貌を遂げていった。
成功する実験的イノベーターに欠かせないのが、成長志向のマインドセットである。固定的なマインドセットでは、実験的イノベーションはできない。成長志向のマインドセットは、失敗を学習の機会だととらえる。従って、どんどん失敗し、学習をし、失敗を成功に結びつけていく。固定的なマインドセットは完璧さを求め、失敗を恐れるあまり、結果を出すことができない。たとえば、ジョブズが成長させたピクサーは、成長志向のマインドセットを持つ典型的な企業だ。そこには、精神的な指導者として、エド・キャットムルの存在が欠かせない。彼は、ピクサーの活動を、つまらないから、つまらなくないへ変える活動をしているという。
創造的な事業を成功させるために不可欠なのは、容赦なく欠陥を見抜いて、完璧を求める努力である。これは失敗を許すという姿勢と一見矛盾するようだが、実はそうではない。
完璧主義にも2種類ある。健全な完璧主義と、不健全な完璧主義である。健全な完璧主義は、卓越性の追求に加えて、計画性や組織化能力もバランスよく持っている。不健全な完璧主義は外部に動かされる。
実験的イノベーションに成功するには、アイデアや戦略を発展させる際に健全な完璧主義でなくてはならない。健全な完璧主義であれば、プロタイピングが失敗から効果的に学習できる有効な方法になる。これに対して、不健全な完璧主義は、アウトプットを出すまでに不相応に長い時間を費やす。
建築家のフランク・ゲイリーは、同僚たちを遊べることの重要性を説く。即興と遊び心が許されることによって、創造性が解放される。この原理をうまく日常業務に適用している企業がピクサーである。ピクサーには、「プラシング」と呼ばれるコンセプトがある。プラシングはアイデアを改善する際に批判しないことによって、アイデアがプラスされていく雰囲気を作り、ユーモアと遊び心のセンスを維持するところに狙いがある。
創造性にとって重要なのは、制約をうまく使うことである。フランク・ゲイリーは無制約に家のデザインを依頼され、苦労した。制約のないプロジェクトでは、解決可能な小さなプロジェクトに分けて解決し、それが解決すると次の問題に取りかかるというように、作業領域に制約をかけていくような工夫が必要である。このような問題の細分化は最近はよく見かける。ソフトウエア開発におけるアジャイル開発などがその例である。
アジャイル過程は企業のマーケティングや営業の担当者が顧客の問題や要求を認識するところから始まる。ソフトウエア会社のプロダクトマネジャーは、顧客の要求を集約し、優先順位をつけて管理する。
アジャイルは「早く失敗する」優れた方法である。したがって、ウォーターフォールに比べると、生産性も品質も高い。
また、体験も創造には欠かせない方法である。一般的に対象を完全に理解するまで、ニーズなどについて質問することは難しいが、注意深い探索、観察、ヒヤリングなどの体験によって、質問を見つけることができる。たとえば、グラミン銀行などはその典型的な例である。観察がなくては、グラミン銀行のサービスは開発できなかっただろう。
また、学ぶという観点からは、大からちょっとずつ、学んでいくとか、最先端のユーザという小から大を学ぶことが重要である。
これらの手法によって、「小さな勝利」を治めていく。小さな勝利とは、組織心理学者カール・ワイクの言葉で、
具体的で完成していて、実施すみのそこそこ重要な結果
である。要するに、進行中のプロジェクトから生まれる小さな成功である。小さな勝利は、メンバーのモチベーションの向上だけではなく、相手の受容性を高めるという点もおいても重要だ。
たとえば、アジャイル開発を例にとると、あるアイデアが顧客によって肯定されると、次のアイデアの受容性はぐんと高まる。それによって、開発者の意欲がますます高まるという好循環が生まれる。これがアジャイルのパワーである。
われわれは、計画的に順序正しく仕事ができるように教えられている。しかし、現実の世界は予見可能ではなく、直線的ではない。その中で、実験的イノベータは安価なプロトタイプを利用して無数の実験をする。そうすることによって未来を作っていく。それが小さな賭けである。
本書は、小さく賭ける原則のそれぞれを、事例をふんだんに使って説明している。少し、記述が抽象的だが、非常に卓越した主張をしている書籍であり、読み物としても面白い。デザイン思考によって、イノベーションを起こそうとしている人は、必読の一冊である。
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