アクティブノンアクションからの脱却(ファンが選ぶビジネス書19)
海老原 嗣生「仕事をしたつもり」、講談社(2011)
お奨め度:★★★★1/2
一所懸命仕事をしているのに成果がでない「仕事をしたつもり」現象を5つのパターンに分けて原因を分析し、対策を提案している。興味深いのは、意志力があっても、仕事をしたつもりをゼロにすることは無理だという結論した上で、仕事をしたつもりからの脱却方法を提案している点だ。
仕事をしたつもりの代表的なパターンは以下の5つである。
・量の神話
・ハコモノ志向
・本末転倒
・横並び意識
・過剰サービス
量の神話とは、仕事の質より量を評価する現象である。日本社会で如実に現れるのは、「勤務時間」だ。同じ成果を定時間で上げる人と、毎日10時まで残業して上げる人では、本来前者が評価されるべきであるにも関わらず、後者が評価されることが多い。前者に対して、「もっと頑張れたのではないか、手抜きだ」と評価し、後者には「そこまで頑張ったのであれば仕方ない」となる。
こういう評価はあちこちにみられる。たとえば、プレゼン。プレゼン資料は1枚で十分であるにも関わらず、体裁を整え、起承転結を付けるために、時間をかけて膨大な資料にする。結果として、何を言いたいのかわからないにも関わらず、相手は満足する。
あるいは読書。たくさんの本を読むことが評価される。たくさんの本を読むための読書法とかの本まである。本は1冊の本を、本と対話をしながら徹底的に読めばよい。それで、多読より、はるかに多くの効果がある。
このように量の神話は枚挙に暇がないが、なぜ、量の神話が生まれるのかをよく理解しておく必要がある。質は評価が難しいが、量は評価が簡単だからだ。
次に、ハコモノ志向。ハコモノ志向といっている意味は、意味を考えず、とりあえずやっておこうとすること。たとえば、代官山あたりにあるブランドショップの地図を頼りにいくとまずたどり着けない。地図のデザインを重視するあまり、地図の本来の目的である店にたどり着くことが軽視されている。創った本人は立派な仕事をしたと悦に入っているのだろうが、ハコモノ志向の典型だ。
あるいは、営業アポ取り電話のノルマ1日200件。これは本来、200件も電話をすれば、興味のある人が2人くらい出てきて、訪問アポが取れるだという経験則。しかし、そんな意味を考えずに実行すると、とにかく1日200件の電話をする。相手の気配を感じるでもなく、暇つぶしに訪問を了解するような人ばかりからアポを取り付ける。結局、アポのとれた2人を訪問しても成果は全くでないとなる。これも、ハコモノ志向だ。
ハコモノ志向の究極は、ビジネスモデル狂だ。ビジネスモデルは考えるが、コンテンツを考えない。著者が、トヨタユニバーシティを取材したときに、すべてを見せてくれたそうだ。不安になって担当者に質問したら、トヨタには教え合い、競い合い、助け合う風土があるから活きてくる仕組みで、仕組みがないとプログラムは全く意味がないという答えが返ってきたそうだ。
三番目は本末転倒。いきなり出てくる例は、交通費の節約。コスト削減は「大義」であり、タクシーの利用禁止をしている企業は少なくない。しかし、電車の移動で時間がかかり、残業をするのだとすれば、コスト削減にはならない。つまり、コスト削減のためのルールが余計なコストを生みだしているのだが、問題は、ルールがあるので何も考えずに、ルールに従って動くことで、本末転倒が起こっていることだ。
あるいは、「みんなで考えよう」という上司のやり方。上意下達でものが言いにくい環境であれば、上司のそのようなやり方が意見の吸い上げにもなるし、上司への部下の信頼を高めることにもなり、効果がある。しかし、考えることを強要されると自由度がなくなり、閉塞感が生まれる。この空気が読めないと、部下からは責任転嫁だと受け止められる。つまり、考えることが目的になり、本末転倒になるわけだ。
四番目は横並び意識。ドラマにウェブサイトがある。これは視聴者サービスとして、コミュニケーションをし、視聴率のアップに結びつけるという点で効果がある。ワイドショーや、料理番組も効果がある。ところが、これを真似て、ニュースのウェブサイトを作っているテレビ局がある。これはほとんど意味がない。単に横並びでやっているだけだ。
どうしてこのようなことが起こるかというと、「どうして成功したかを考えずに」横並びをするからだ。これは笑えるくらい多い。著者は、「社員一丸となって」、「全社一律」、「一糸乱れぬ方針」の3つの言葉がでてきたら、その組織はヤバイという。
横並びは強い方から弱い方に流れる。逆にボトムアップができる組織は健全だということで、面白い指摘をしている。マクドナルドで、ストローを挿してくれというと、上半分の紙を残したままで挿してくれる。これは、関西の一店舗の一店員が考えた業だそうだ。トップダウンの場合、思考停止のままで下に伝わるが、ボトムアップは必ずストレステストをされる。したがって、ボトムアップされるアイデアは本物であり、ボトムアップが多いと健全な組織になっていくという。
最後は過剰サービス。ある航空機会社でファーストクラスの客が眠っていたが、CAは毛布を掛けなかった。目が覚めた客は、風邪をひいたらどうするのだと怒った。CAが毛布をかけると寝汗をかくお客もいるからと説明したところ、客は毎月同じ便に乗っているのに、客の習性くらい覚えておけとさらに怒った。
結局、CAの責任者が出てきて謝り、その場を収めたが、著者はこのような態度が過剰サービスの温床になっており、できないものはできない。納得できなければ、使わなくて結構というべきだという。
この例は多少無理があるように思わないでもないが、客とサービス提供者は対等な関係であることを忘れた対応が、過剰サービスを生み、過剰サービスは仕事をしたつもりの典型的なパターンの一つになる。
では、仕事をしたつもりにならないようにするには、どうすればよいか。すべての一因は「思考停止」にあるので、まず、考えること。そして、もう一つ「保身をやめる」ことだ。
さまざまな問題解決策には、安全策と奇策がある。多くの人は保身を考え、安全策を選ぶ。これはやめるべきだ。だからといって奇策を取ればよいかというと奇策は奇策で、印象には残るが、内容が伴わないものが多い。
マーケティングの話だが、朝カレーというのがある。これは奇策である。しかし、朝、カレーを食べたくない理由として、
・作る時間
・臭い
・胃にもたれる
・熱いので食べるのに時間がかかる
といった理由だ。これを取り除き、冷たいままかけることができ、あっさりしていて、においが少ないのが、ヒットした「めざめるカラダ 朝カレー」。奇策を面取りすれば、「傑作」になるという。
仕事をしたつもりというのを、スマントラ・ゴシャール氏と、ハイケ・ブルック氏による『意志力革命』の中で、「アクティブ・ノンアクション」と呼んでいる。スマントラ・ゴシャール氏は、アクティブ・ノンアクションから抜け出すには目的意識のある意志力が必要だと指摘している。
海老原さんは、少なくともこの問題は日本では構造的な問題があり、(おそらく)意志の力だけでは解決しないだろうと言っている。そこで、彼が提案しているのは
(1)仕事をしたつもりを半分にする
(2)残りの半分は仕事をしたふりをして、半分の時間で済ます
(3)残った半分の時間を真剣に考えることに費やす
という方法である。これは現実的な方法である。
・量の神話
・ハコモノ志向
・本末転倒
・横並び意識
・過剰サービス
量の神話とは、仕事の質より量を評価する現象である。日本社会で如実に現れるのは、「勤務時間」だ。同じ成果を定時間で上げる人と、毎日10時まで残業して上げる人では、本来前者が評価されるべきであるにも関わらず、後者が評価されることが多い。前者に対して、「もっと頑張れたのではないか、手抜きだ」と評価し、後者には「そこまで頑張ったのであれば仕方ない」となる。
こういう評価はあちこちにみられる。たとえば、プレゼン。プレゼン資料は1枚で十分であるにも関わらず、体裁を整え、起承転結を付けるために、時間をかけて膨大な資料にする。結果として、何を言いたいのかわからないにも関わらず、相手は満足する。
あるいは読書。たくさんの本を読むことが評価される。たくさんの本を読むための読書法とかの本まである。本は1冊の本を、本と対話をしながら徹底的に読めばよい。それで、多読より、はるかに多くの効果がある。
このように量の神話は枚挙に暇がないが、なぜ、量の神話が生まれるのかをよく理解しておく必要がある。質は評価が難しいが、量は評価が簡単だからだ。
次に、ハコモノ志向。ハコモノ志向といっている意味は、意味を考えず、とりあえずやっておこうとすること。たとえば、代官山あたりにあるブランドショップの地図を頼りにいくとまずたどり着けない。地図のデザインを重視するあまり、地図の本来の目的である店にたどり着くことが軽視されている。創った本人は立派な仕事をしたと悦に入っているのだろうが、ハコモノ志向の典型だ。
あるいは、営業アポ取り電話のノルマ1日200件。これは本来、200件も電話をすれば、興味のある人が2人くらい出てきて、訪問アポが取れるだという経験則。しかし、そんな意味を考えずに実行すると、とにかく1日200件の電話をする。相手の気配を感じるでもなく、暇つぶしに訪問を了解するような人ばかりからアポを取り付ける。結局、アポのとれた2人を訪問しても成果は全くでないとなる。これも、ハコモノ志向だ。
ハコモノ志向の究極は、ビジネスモデル狂だ。ビジネスモデルは考えるが、コンテンツを考えない。著者が、トヨタユニバーシティを取材したときに、すべてを見せてくれたそうだ。不安になって担当者に質問したら、トヨタには教え合い、競い合い、助け合う風土があるから活きてくる仕組みで、仕組みがないとプログラムは全く意味がないという答えが返ってきたそうだ。
三番目は本末転倒。いきなり出てくる例は、交通費の節約。コスト削減は「大義」であり、タクシーの利用禁止をしている企業は少なくない。しかし、電車の移動で時間がかかり、残業をするのだとすれば、コスト削減にはならない。つまり、コスト削減のためのルールが余計なコストを生みだしているのだが、問題は、ルールがあるので何も考えずに、ルールに従って動くことで、本末転倒が起こっていることだ。
あるいは、「みんなで考えよう」という上司のやり方。上意下達でものが言いにくい環境であれば、上司のそのようなやり方が意見の吸い上げにもなるし、上司への部下の信頼を高めることにもなり、効果がある。しかし、考えることを強要されると自由度がなくなり、閉塞感が生まれる。この空気が読めないと、部下からは責任転嫁だと受け止められる。つまり、考えることが目的になり、本末転倒になるわけだ。
四番目は横並び意識。ドラマにウェブサイトがある。これは視聴者サービスとして、コミュニケーションをし、視聴率のアップに結びつけるという点で効果がある。ワイドショーや、料理番組も効果がある。ところが、これを真似て、ニュースのウェブサイトを作っているテレビ局がある。これはほとんど意味がない。単に横並びでやっているだけだ。
どうしてこのようなことが起こるかというと、「どうして成功したかを考えずに」横並びをするからだ。これは笑えるくらい多い。著者は、「社員一丸となって」、「全社一律」、「一糸乱れぬ方針」の3つの言葉がでてきたら、その組織はヤバイという。
横並びは強い方から弱い方に流れる。逆にボトムアップができる組織は健全だということで、面白い指摘をしている。マクドナルドで、ストローを挿してくれというと、上半分の紙を残したままで挿してくれる。これは、関西の一店舗の一店員が考えた業だそうだ。トップダウンの場合、思考停止のままで下に伝わるが、ボトムアップは必ずストレステストをされる。したがって、ボトムアップされるアイデアは本物であり、ボトムアップが多いと健全な組織になっていくという。
最後は過剰サービス。ある航空機会社でファーストクラスの客が眠っていたが、CAは毛布を掛けなかった。目が覚めた客は、風邪をひいたらどうするのだと怒った。CAが毛布をかけると寝汗をかくお客もいるからと説明したところ、客は毎月同じ便に乗っているのに、客の習性くらい覚えておけとさらに怒った。
結局、CAの責任者が出てきて謝り、その場を収めたが、著者はこのような態度が過剰サービスの温床になっており、できないものはできない。納得できなければ、使わなくて結構というべきだという。
この例は多少無理があるように思わないでもないが、客とサービス提供者は対等な関係であることを忘れた対応が、過剰サービスを生み、過剰サービスは仕事をしたつもりの典型的なパターンの一つになる。
では、仕事をしたつもりにならないようにするには、どうすればよいか。すべての一因は「思考停止」にあるので、まず、考えること。そして、もう一つ「保身をやめる」ことだ。
さまざまな問題解決策には、安全策と奇策がある。多くの人は保身を考え、安全策を選ぶ。これはやめるべきだ。だからといって奇策を取ればよいかというと奇策は奇策で、印象には残るが、内容が伴わないものが多い。
マーケティングの話だが、朝カレーというのがある。これは奇策である。しかし、朝、カレーを食べたくない理由として、
・作る時間
・臭い
・胃にもたれる
・熱いので食べるのに時間がかかる
といった理由だ。これを取り除き、冷たいままかけることができ、あっさりしていて、においが少ないのが、ヒットした「めざめるカラダ 朝カレー」。奇策を面取りすれば、「傑作」になるという。
仕事をしたつもりというのを、スマントラ・ゴシャール氏と、ハイケ・ブルック氏による『意志力革命』の中で、「アクティブ・ノンアクション」と呼んでいる。スマントラ・ゴシャール氏は、アクティブ・ノンアクションから抜け出すには目的意識のある意志力が必要だと指摘している。
海老原さんは、少なくともこの問題は日本では構造的な問題があり、(おそらく)意志の力だけでは解決しないだろうと言っている。そこで、彼が提案しているのは
(1)仕事をしたつもりを半分にする
(2)残りの半分は仕事をしたふりをして、半分の時間で済ます
(3)残った半分の時間を真剣に考えることに費やす
という方法である。これは現実的な方法である。
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