「ビジネスホリック」のバイブル
村上龍「無趣味のすすめ」、幻冬舎(2009)
お奨め度:★★★★★
大学のときに、「限りなく透明に近いブルー」を読んでいっぺんにファンになった。
村上 龍「限りなく透明に近いブルー」、講談社(1976)
天才だと思った。そして、
村上 龍「コインロッカー・ベイビーズ」、講談社(1980)4061168649
で完全にはまった。
21世紀になってからは、ずいぶんと活動分野が変わってきた。経済論評を手がけるようになった。注目されるようになったのは、
村上 龍「13歳のハローワーク」、幻冬舎(2003)
だと思う。この本は、非常に良くできている。すばらしいチャレンジだ。
また、その後、「カンブリア宮殿」という経済番組を手がける。これも、たいへん丁寧につくられた番組で、ドキュメンテーションが出版されている。
村上龍、テレビ東京報道局「カンブリア宮殿 村上龍×経済人」、日本経済新聞出版社(2007)
よくできていると思うのだが、何かつまらなかった。ものたりない。
前後するが、2005年11月、出版界の異端児、見城 徹の手により
仕事が楽しければ人生も楽しい
ビジネスホリック
といったショッキングなキャッチを掲げた一冊の雑誌が生まれる。ゲーテ(GOETHE)だ。この雑誌の核弾頭が、村上龍のエッセイ「無趣味のすすめ」だった。
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趣味の世界には自分を脅かすようなものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。つまり、それは私たちの「仕事」の中にしかない。(p9)
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こんなことをしらっと書いている。決して肩に力が入ったという感じではない。
このエッセイを読んで直感的に感じたのが、これはビジネス版の「限りなく透明に近いブルー」だってことだった。ある意味、自虐ですらある。しかし、自虐が多くを語ってり、もはや、自虐とはいえないものを生み出す。
チクセントミハイのフロー体験の本質は意外とこの当りなのかもしれない。
チクセントミハイ(大森 弘訳)「フロー体験とグッドビジネス―仕事と生きがい」、世界思想社(2008)
最初の1年くらいは、毎号買っていたが、こういう刺激物はそのうち飽きる。やがて興味のある特集しか買わなくなったが、買わない月も、村上龍のエッセイだけは書かさず立ち読みしていた。
やっとこのエッセイが本になった!
いくつもの印象に残ったフレーズが出てきた。例えば、僕がよく引用しているフレーズに
目標は、あったほうがいいという程度のものではなく、本当は水や空気と同じで、それがなければ生きていけない
がある。これこそ、ビジネスホリックという生き方だろう。
これまでで、一番印象に残ったエッセイは、「部下は「掌握」すべきなのか」というエッセイ。
たまたま、アマゾンに、この中のワンフレーズを取り上げ、ボロクソに書いているレビュアがいたので、おもわず、にんまりしてしまった。そのフレーズとは
どうやって部下を一人前に育てるか、そんなことを真剣に悩んでいる上司がいることも信じられない(p154)
というもの。この前段で
部下とのコミュニケーションで悩んでいる上司がいるということが、わたしには理解できない
部下のモチベーションをあげる方法で悩んでいる上司がいるのもよくわからない
といったフレーズもある(ちなみに、村上龍はできるといっているのではない。そんな部下は要らないといっている)。
これまで、日本人が綿々と培ってきた価値感の全否定に近い。アマゾンには、「村上よ、おまえは何様だ」という感じの批判が書かれている。わからなくもない。まさに、「限りなく透明に近いブルー」の再現である。
ワークライフバランスに関するコラムもある。「自分にとって人間らしい生活、良い生活が何かわからないのに、ワークライフバランスなど口にするな」と戒めている。
僕が高校生の時にはまっていたのは五木寛之の「青春の門」。
そこに突如としてでてきた、「限りなく透明に近いブルー」で覚えた感覚に極めて近い。今、ビジネスにはこんな感覚が必要なのだと思う。
思えば、五木寛之は全然違った道で、同じような境地に達しているように思う。
五木 寛之「人間の覚悟」、新潮社(2008)
僕は文学評論家ではないので、うまくいえないが、もともと、「青春の門」と「限りなく透明に近いブルー」には表現が違うが、通じるものがあったのかもしれない。
なんにしても、村上龍のこの本は間違いなく、ビジネスホリックのバイブルである。「覚悟」のある人だけ読んでほしい。
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