心地よい格差社会
小林由美「超・格差社会アメリカの真実」、日経BP社(2006)
お奨め度:★★★★
この1年くらい、政争の具に使われている「格差問題」。この議論を聞いていて、なんとなく釈然としない部分がある。それは、格差があることが良いことか悪いことか、それとも、そういう次元の議論ではないのかである。
僕自身の考えをはっきりいえば、格差があるところで、すべての人が幸福感を感じることができるのが政治ではないかと思う。そのように考えたときに、格差を是正すると言う言葉で表現しようとしているものが、富の再配分を意味しているのか、格差を前提として平等な社会を作ろうとしているのかすら明確にならないままで、格差という言葉が独り歩きしているような印象が強い。
この本では、超金持ちと、仕事のプロと、貧乏人と、社会的落ちこぼれしかいないといわれる米国社会の実態をデータに基づいて描き出してるととにも、社会に格差が定着していく一連の流れの中で政治のスタンスを分かりやすく分析している。
さらに、それでもなぜ、アメリカという国は心地よいのかという分析と行っている。この章がたいへん、興味を引いた。
この分析のポイントはスピード感である。自民党総裁選でしばしば話題になった再チャレンジを見ているといかにも日本的でうんざりしてくる。それはスピード感がないことだ。例えば、30歳でトップ手段を走っていた人が何らかの挫折をした人が40歳までの10年間頑張り、再び、トップ集団に並ぶところまできた。日本人的にはよく頑張ったということになるだろう。実際に今まであまり見られなかったことだし、再チャレンジということになるのだろう。このようなプロセスを支援するというのは、いわゆる勝ち組が単に優越感を持って負け組みを支援しているだけだ。
再チャレンジが可能な社会というのはこういうことではないと思う。失敗した人が、自身の才覚で成功した人を抜きさる。これが再チャレンジが可能な社会だと思う。例えば、ベンチャー企業を起こして失敗した。経営者の資質に疑いがなければ、負の資産を持たないままで、再び、再起の機会を与えられることが再チャレンジだろう。
これは日本人の国民性からは許しがたい部分がある。まずは負の資産をきれいにするところから始めるべきだと思うとなる。この部分がある限り、米国のようになることは難しいなということを痛感した一冊だった。
ただし、この本には第8章に面白い問題提起がある。米国のモデルがグローバリゼーションに耐えられるかという問題だ。ぜひ、本書を読んで確認してみてほしい。
第1章 超・階層社会アメリカの現実―「特権階級」「プロフェッショナル階級」「貧困層」「落ちこぼれ」
第2章 アメリカの富の偏在はなぜ起きたのか―ウォール街を代理人とする特権階級が政権をコントロールする国
第3章 レーガン、クリントン、ブッシュ・ジュニア政権下の富の移動
第4章 アメリカン・ドリームと金権体質の歴史―自由の国アメリカはいかにして階級社会国家となったのか?
第5章 アメリカの教育が抱える問題―なぜアメリカの基礎教育は先進国で最低水準となったのか?
第6章 アメリカの政策目標作成のメカニズムとグローバリゼーションの関係―シンクタンクのエリートたちがつくり、政治家たちが国民に説明するカラクリについて
第7章 それでもなぜアメリカ社会は「心地よい」のか?―クリエイティビティが次々と事業化されてくる秘密
第8章 アメリカ社会の本質とその行方―アメリカ型の資本主義市場経済が広がると、世界はどうなるのか?
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