規模の追求から、リ・インベンションへ(ファンが選ぶビジネス書20)
三品和広「どうする? 日本企業」、東洋経済新報社(2011)
お奨め度:★★★★1/2
※facebook記事「戦略の形骸化を如何に食い止めるか」
戦後の復興期から高度成長期にかけて、世界的に一世を風靡した企業が、その後も無限の成長を求める戦略を取り、滑り落ちていくダイナミックスを分析し、その原因に迫る一冊。学術的で厳密な分析結果を、面白いストーリーとして描いているので、面白く読める。
◆戦略不全と無理やり成長
三品先生の戦略分析(批判)というと、「戦略不全の理論」、「戦略不全の因果」が代表的であるが、これらで導かれた結論は極めて刺激的で、また、的を得たものである。すなわち、
日本企業は管理職の延長線上に経営職を置いてしまったため、管理一辺倒に陥り、寿命を迎えた事業の立地にしがみついたまま、利益が伴わない不毛な努力を続けている。
というものだ。ここで、事業の立地というのは三品先生の造語であるので、少し説明をしておく。
事業の立地とは、その事業が誰に向かって何を売るビジネスを営むのかを示すものである。また、立地の上に乗るのが、売ると決めたものを売ると決めた相手にデリバリーするまでのプロセスを示す事業の「構え」である、
そして、構えの上に製品があり、日々のオペレーションがあるという構造が事業にはあるというものだ。つまり、
立地<構え<製品<オペレーション
という事業観に基づき、議論されている。
さて、この本で言っているのは、事業の立地にしがみついたままで行った不毛な努力とは、「無理やり成長」であったにも関わらず、いまだに、成長戦略の大合唱をしているが、それでいいのかと問題提起と、その問題の解決の方向性だ。この問題指摘は興味深く、そもそも、成長を掲げる計画経営の発想には無理があるというもの。つまり、企業が価格を決めれば、どれだけ売れるかは市場に委ねるしかなく、逆に企業が出荷量を決めれば、いくらで売れるかは蓋を開けてみないと分からない。
にも関わらず、努力で売り上げを変えられる信じ、社員を数値目標で借りたてる計画経営はばかげていると断言している。そして、ばかげた例として
(1)セイコーの時計
(2)ヤマハのピアノ
(3)鉄鋼業界
について詳細に検討している。さらに、グローバル化による成長のナンセンスを、日本が新興国だった時代の外資系企業への政策を振り返りながら、説いている。
◆セイコーのクオーツ
それぞれについて簡単に紹介しよう。まず、セイコーの時計である。時計はもともと、市井の人には縁のない商品だったが、鉄道の普及でニーズが生まれた。そして、スイスのジュラ渓谷、米国のウォルサムを中心にプロセスイノベーションを実現し、低価格化を実現した。これらの時計は、1日の誤差を2秒に抑えるのに苦労していたところに、セイコーがクオーツを実用化し、10日で2秒という世界を作った。そして、クオーツを販売するやいなや、アメリカ、イギリス、ドイツ、ブラジルと矢継ぎ早に現地法人を作り、大攻勢をかける。そして、クオーツ時計を始めた1969年から8年後の1977年には世界一の時計メーカになった。
ところがその後、セイコーは坂を転げ落ちるように利益を落としていく。その原因は、それまで国内市場を独占していた高級帯、中級帯市場をおろそかにして、クオーツで攻勢にでて、中高級帯を取られてしまった挙句、クオーツは普及帯での競争になっていったからだ。そして、中級帯のユーザは、選択肢を与えられると、普及帯に乗り換えるようになり、状況は一層悪化する。さらに、クオーツは実用帯の時計市場を消滅させる。さまざまなものに時計がついたためだ。
このようなさまざまな理由で、セイコーはあっという間に世界一の座から落ちてしまった。最後に三品先生はセイコーの取るべき道は、転地(立地を変えること)だったと指摘している。
◆ヤマハのピアノ
二番目は、ヤマハのピアノだ。ピアノはもともと、スタンウェイに代表されるように工芸品だった。ヤマハも工芸品路線で、年750台ほどしか作っていなかった。ところが、戦後、川上源一郎氏が父から社長を譲り受けるとピアノの大量生産に乗り出す。その規模はそれまでの100倍。このスケール感は世界中を震撼させる。
衝撃の核心は品質とコストの関係にある。品質には2つの概念がある。たとえば、車であればジャガーとカローラの品質概念は異なる。ジャガーはパフォーマンス・クオリティ、カローラはコンフォーマンス・クオリティと呼ばれる。簡単にいえば、前者は製品が顧客の期待を上回る程度、後者は製品が顧客の期待を裏切らない程度である。
パフォーマンス・クオリティは素材や仕上げ醸し出すもので、クオリティを上げるにはコストをかける必要がある。これに対して、コンフォーマンス・クオリティは、製造工程からばらつきを徹底的に排除することによって上がる。そして、上げれば上げるほど、無駄がなくなり、コストが下がる。つまり、品質を上げるとコストが下がる。これはすざましいインパクトだった。
そして、1965年に台数ベースで世界一にのぼり詰めるが、そのあとはやはり、衰退していく。その原因は経営の混乱とともに、円高、市場成熟、新興国の台頭があった。
そのような原因はあるにせよ、ヤマハの失敗の本質は、ピアノとは何かを理解しない大衆を背景に、大量生産で成長してきたことによると考えられる。つまり、大量生産で売られたピアノは楽器として扱われなかったし、価値をもたらさなかった。実際に、世界的なピアニストは生まれなかったのだ。
◆鉄鋼業界の多角化
三番目は鉄鋼業界である。鉄は産業の米と呼ばれ、国策として設備投資を行い、1970年代には世界一の座に就く。しかし、成長は永久には続かず、やがて生産量は減るが、すでに生産体制を作ってしまっており、雇用をどうするかが問題になる。
新日鐵をはじめとする多くの企業は、雇用を徹底的に守るという方向性を打ち出す。そして、多角化に取り組む。だが、その方法は、目的と手段の混同がみられる。
ここで、複合経営に取り組んだのが神戸製鋼である。神戸製鋼は非鉄と一般機械で常に、鉄鋼以上の売り上げをあげている。もし、複合経営をせず、専業としていくなら、鉄と運命を同じくすべきで、余剰人員を抱えるような採用をすべきではなかった。また、余剰人員の処理としてはもっとも有効なのは出向だった。つまり、製鉄所の中の遊休地に他社の工場を誘致し、そこに社員を送り込むことだった。これを徹底すべきだった。
◆グローバル化の神話
最後は、「国内は成長が見込めない。だから新興国に打ってでる」というグローバル化だという信仰について。これは理論的には正しいかもしれないが、「侵攻」される立場の視点が入っていないので、失敗するだろう。日本には自国の産業を守り抜いてきた歴史があり、新興国でも同じことが起こる。
日本では、まず、1950年に外資法を成立させている。これは外国資本の出資比率を50%以下に抑え、かつ、「日本経済の自立と発展に寄与する」、「国際収支の改善に寄与する」の2つを認可の条件にするというものだった。また、海外送金が禁じられており、日本で上げた収益は日本で投資するしかないという縛りも作った。その後、1979年に外資法が廃止されるまでこの制約は条件を緩めながら続く。
結果として、1980年には、1000億円を超える上場企業が2000社以上あったのに対して、外資企業は59社だけだった。これと同じことが、これから日本が侵攻しようとする新興国でも起こるだろうというのが、三品先生の指摘である。
◆リ・インベンションに活路を見出す
以上の考察から、今後日本企業が活路を見出すべきなのは、規模の成長ではなく、収益を出していくことである。具体的には、リ・インベンションである。リ・インベンションとは歴史的に残る発明を取り上げて、一からやり直そうとすることである。その見本の一つはiPhoneである。iPhoneはユーザと事業者の関係を一から変えるというリ・インベンションを実現した。
iPhoneの例から分かるように、リ・インベンションは最初の構想が圧倒的に重要である。その意味で、技術力以上に構想力が重要であり、技術力は組織に宿るが、構想力は個人に宿る。ゆえに、日本には勝ち目がある。人材がいるからだ。
まずは、自社のやりたい仕事を精密に定めることから始める。それは合議で決められるのではなく、ジョブズのように卓越した個人の心の叫びに従うものだ。
三品先生の戦略分析(批判)というと、「戦略不全の理論」、「戦略不全の因果」が代表的であるが、これらで導かれた結論は極めて刺激的で、また、的を得たものである。すなわち、
日本企業は管理職の延長線上に経営職を置いてしまったため、管理一辺倒に陥り、寿命を迎えた事業の立地にしがみついたまま、利益が伴わない不毛な努力を続けている。
というものだ。ここで、事業の立地というのは三品先生の造語であるので、少し説明をしておく。
事業の立地とは、その事業が誰に向かって何を売るビジネスを営むのかを示すものである。また、立地の上に乗るのが、売ると決めたものを売ると決めた相手にデリバリーするまでのプロセスを示す事業の「構え」である、
そして、構えの上に製品があり、日々のオペレーションがあるという構造が事業にはあるというものだ。つまり、
立地<構え<製品<オペレーション
という事業観に基づき、議論されている。
さて、この本で言っているのは、事業の立地にしがみついたままで行った不毛な努力とは、「無理やり成長」であったにも関わらず、いまだに、成長戦略の大合唱をしているが、それでいいのかと問題提起と、その問題の解決の方向性だ。この問題指摘は興味深く、そもそも、成長を掲げる計画経営の発想には無理があるというもの。つまり、企業が価格を決めれば、どれだけ売れるかは市場に委ねるしかなく、逆に企業が出荷量を決めれば、いくらで売れるかは蓋を開けてみないと分からない。
にも関わらず、努力で売り上げを変えられる信じ、社員を数値目標で借りたてる計画経営はばかげていると断言している。そして、ばかげた例として
(1)セイコーの時計
(2)ヤマハのピアノ
(3)鉄鋼業界
について詳細に検討している。さらに、グローバル化による成長のナンセンスを、日本が新興国だった時代の外資系企業への政策を振り返りながら、説いている。
◆セイコーのクオーツ
それぞれについて簡単に紹介しよう。まず、セイコーの時計である。時計はもともと、市井の人には縁のない商品だったが、鉄道の普及でニーズが生まれた。そして、スイスのジュラ渓谷、米国のウォルサムを中心にプロセスイノベーションを実現し、低価格化を実現した。これらの時計は、1日の誤差を2秒に抑えるのに苦労していたところに、セイコーがクオーツを実用化し、10日で2秒という世界を作った。そして、クオーツを販売するやいなや、アメリカ、イギリス、ドイツ、ブラジルと矢継ぎ早に現地法人を作り、大攻勢をかける。そして、クオーツ時計を始めた1969年から8年後の1977年には世界一の時計メーカになった。
ところがその後、セイコーは坂を転げ落ちるように利益を落としていく。その原因は、それまで国内市場を独占していた高級帯、中級帯市場をおろそかにして、クオーツで攻勢にでて、中高級帯を取られてしまった挙句、クオーツは普及帯での競争になっていったからだ。そして、中級帯のユーザは、選択肢を与えられると、普及帯に乗り換えるようになり、状況は一層悪化する。さらに、クオーツは実用帯の時計市場を消滅させる。さまざまなものに時計がついたためだ。
このようなさまざまな理由で、セイコーはあっという間に世界一の座から落ちてしまった。最後に三品先生はセイコーの取るべき道は、転地(立地を変えること)だったと指摘している。
◆ヤマハのピアノ
二番目は、ヤマハのピアノだ。ピアノはもともと、スタンウェイに代表されるように工芸品だった。ヤマハも工芸品路線で、年750台ほどしか作っていなかった。ところが、戦後、川上源一郎氏が父から社長を譲り受けるとピアノの大量生産に乗り出す。その規模はそれまでの100倍。このスケール感は世界中を震撼させる。
衝撃の核心は品質とコストの関係にある。品質には2つの概念がある。たとえば、車であればジャガーとカローラの品質概念は異なる。ジャガーはパフォーマンス・クオリティ、カローラはコンフォーマンス・クオリティと呼ばれる。簡単にいえば、前者は製品が顧客の期待を上回る程度、後者は製品が顧客の期待を裏切らない程度である。
パフォーマンス・クオリティは素材や仕上げ醸し出すもので、クオリティを上げるにはコストをかける必要がある。これに対して、コンフォーマンス・クオリティは、製造工程からばらつきを徹底的に排除することによって上がる。そして、上げれば上げるほど、無駄がなくなり、コストが下がる。つまり、品質を上げるとコストが下がる。これはすざましいインパクトだった。
そして、1965年に台数ベースで世界一にのぼり詰めるが、そのあとはやはり、衰退していく。その原因は経営の混乱とともに、円高、市場成熟、新興国の台頭があった。
そのような原因はあるにせよ、ヤマハの失敗の本質は、ピアノとは何かを理解しない大衆を背景に、大量生産で成長してきたことによると考えられる。つまり、大量生産で売られたピアノは楽器として扱われなかったし、価値をもたらさなかった。実際に、世界的なピアニストは生まれなかったのだ。
◆鉄鋼業界の多角化
三番目は鉄鋼業界である。鉄は産業の米と呼ばれ、国策として設備投資を行い、1970年代には世界一の座に就く。しかし、成長は永久には続かず、やがて生産量は減るが、すでに生産体制を作ってしまっており、雇用をどうするかが問題になる。
新日鐵をはじめとする多くの企業は、雇用を徹底的に守るという方向性を打ち出す。そして、多角化に取り組む。だが、その方法は、目的と手段の混同がみられる。
ここで、複合経営に取り組んだのが神戸製鋼である。神戸製鋼は非鉄と一般機械で常に、鉄鋼以上の売り上げをあげている。もし、複合経営をせず、専業としていくなら、鉄と運命を同じくすべきで、余剰人員を抱えるような採用をすべきではなかった。また、余剰人員の処理としてはもっとも有効なのは出向だった。つまり、製鉄所の中の遊休地に他社の工場を誘致し、そこに社員を送り込むことだった。これを徹底すべきだった。
◆グローバル化の神話
最後は、「国内は成長が見込めない。だから新興国に打ってでる」というグローバル化だという信仰について。これは理論的には正しいかもしれないが、「侵攻」される立場の視点が入っていないので、失敗するだろう。日本には自国の産業を守り抜いてきた歴史があり、新興国でも同じことが起こる。
日本では、まず、1950年に外資法を成立させている。これは外国資本の出資比率を50%以下に抑え、かつ、「日本経済の自立と発展に寄与する」、「国際収支の改善に寄与する」の2つを認可の条件にするというものだった。また、海外送金が禁じられており、日本で上げた収益は日本で投資するしかないという縛りも作った。その後、1979年に外資法が廃止されるまでこの制約は条件を緩めながら続く。
結果として、1980年には、1000億円を超える上場企業が2000社以上あったのに対して、外資企業は59社だけだった。これと同じことが、これから日本が侵攻しようとする新興国でも起こるだろうというのが、三品先生の指摘である。
◆リ・インベンションに活路を見出す
以上の考察から、今後日本企業が活路を見出すべきなのは、規模の成長ではなく、収益を出していくことである。具体的には、リ・インベンションである。リ・インベンションとは歴史的に残る発明を取り上げて、一からやり直そうとすることである。その見本の一つはiPhoneである。iPhoneはユーザと事業者の関係を一から変えるというリ・インベンションを実現した。
iPhoneの例から分かるように、リ・インベンションは最初の構想が圧倒的に重要である。その意味で、技術力以上に構想力が重要であり、技術力は組織に宿るが、構想力は個人に宿る。ゆえに、日本には勝ち目がある。人材がいるからだ。
まずは、自社のやりたい仕事を精密に定めることから始める。それは合議で決められるのではなく、ジョブズのように卓越した個人の心の叫びに従うものだ。
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