一階に現実、二階は夢
池井戸 潤「下町ロケット」、小学館(2010)4093862923
「一階に現実、二階は夢。そんな人生を僕は生きたい」
そんな想いを持つ技術開発型中小企業の社長の奮闘を通して、日本を支える中小企業の技術経営の難しさと、おもしろさを描いた一冊。著者の池井戸氏は、三菱銀行の出身で、銀行や、大企業の考え方を熟知しており、リアリティのある状況設定と、それを打ち破っていく主人公の活躍に、技術経営の現実と本質を読み取ることができる。
著者は銀行もの意外にも、ゼネコンの談合システムの破壊を描いた「鉄の骨」、三菱自動車のトラックの脱輪事件を描いた「空飛ぶタイヤ」など、リアルな企業ものが得意であるが、中でもこの下町ロケットは群を抜いて面白いし、中小企業にとってリアルな現実問題を解決していくストーリーは胸がすく。
主人公の佃航平は大学で7年、宇宙科学開発機構の研究員として2年、全力を傾けて開発したロケットのエンジンを開発してきたが、ロケットの打ち上げはエンジンのトラブルによって、失敗に終わる。その責任を取る形で、佃は機構から離れ、父親の起こした佃製作所を継ぐ。佃製作所は父親の時代には電子部品を得意としていたが、佃が社長になってからは、エンジンやその周辺デバイスを手がけるようになった。業績も順調で、継承してから売上げを3倍にするとともに、エンジンに関する技術は大企業をもしのぐという評判を得る企業に成長していた。
ある日、佃製作所は得意先から突然の取引の縮小を宣言される。縮小量は自社の売上げの10%を越える。メインバンクに運転資金の追加融資を申込むが、メインバンクはいい顔をしない。ロケットエンジンの研究開発に多額の研究費を投入していることが融資のネックになっており、銀行はビジネスの芽のないロケットエンジンの研究開発への投資を絞るように要求している。しかし、佃は、ロケットエンジンの研究開発の知見が、民生向け製品のエンジンの優位性に結びついているとして耳を貸さない。
そんな佃製作所に追い打ちをかけるように、稼ぎ頭の小型エンジンに知財の問題が発生する。競合のナカジマ工業から特許侵害を訴えられ、年間売上げに匹敵するような賠償金を請求される。しかも、その対象は開発当時に同社から問題を指摘され、話合いを行い、問題なしという合意をした技術であった。ナカジマ工業の訴訟は、顧問弁護士事務所と提携した戦略的なものであり、狙いは裁判を長期化させ、兵糧攻めにし、佃製作所(の技術)を手に入れることにあった。
ナカジマ工業の発表により、佃製作所が特許侵害を訴えられていることは、顧客やメインバンクに知れ渡ることになる。顧客は小型エンジンの発注をキャンセルし、資金繰りがますます悪化する。銀行は、ますます、融資のハードルを上げる。競合企業の思惑通りの状況になっていく。
このような状況において、佃製作所に救いの手をさしのべたのは、ベンチャーキャピタルだった。ベンチャーキャピタルは佃製作所の技術や製品を高く評価し、投資に応じてくれる。一方で、佃製作所は知財を専門とする弁護士を見つける。この弁護士は、競合の顧問弁護士事務所の出身で、その法廷戦略に疑問を持つとともに、手の内も知っていた。彼の力を得た佃製作所は、法廷戦略を練り、他の特許侵害で逆にナカジマ工業を告訴し、勝訴する。また、訴えられていた小型エンジンの訴訟も和解し、膨大な損害賠償金を得て、倒産の危機から脱出する。
佃製作所とナカジマ工業が戦っているのと時を同じくして、ロケットビジネスを手がけている帝国重工ではあってはならないことが起こっていた。社長の肝いりのスターダスト計画で、開発したエンジンのバルブ技術が、佃製作所の持つ特許を侵害していることが分かったのだ。
当初は、ナカジマ工業と結託し、佃製作所の特許の買い取りを目論むが、ナカジマ工業の失敗により、その道は閉ざされる。再開発すれば、計画は確実に遅れる。そこで、佃製作所に特許の使用の申し出をする。天下の帝国重工が、名もしれぬ中小企業の佃製作所に特許使用を依頼したのだから、二つ返事で引き受けると思っていた。事実、佃製作所では、受けるべきだという意見が多かった。
しかし、最終的に佃の出した答えは違った。特許の供与でなく、部品の供与を申し出た。当然、相手にされない。しかし、佃製作所が特許の供与を認めない以上、帝国重工は、スケジュール延期か、部品の受け入れの二者択一の選択を迫られる。
結局、帝国重工は部品の供与を選択した。ただし、その前提は、ベンダーテストに合格することだった。
一方で、佃製作所も一枚岩ではなかった。リスクの高い部品供給のビジネスよりは、確実に利益になる特許の使用を認め、その利益を社員への報酬にあてるべきだと考えるグループがあった。そのため、帝国重工のベンダーテストを全社一丸になって合格しようという雰囲気ができないままに、テストの突入する。
テストの際の帝国重工の見下した態度に、部品供給に反対しているグループもなんとか鼻をあかしてやろうと団結する。そして、見事にテストに合格し、部品供給ベンダーとして認定される。
その後も紆余曲折があるが、なんとか、佃製作所の提供するバルブを使ったエンジンの開発に成功し、そのエンジンを使ったロケットの打ち上げに成功する。
かくして、佃航平は、宇宙科学開発機構時代のリベンジを果たすことになる。
以上があらすじだが、この小説の一番のポイントは、中小企業が身の丈に合わない、当面使う当てのないエンジンの開発をすることの是非であろう。これによって、民生向けの製品が高度化する一方で、ビジネスリスクは大きく、特に銀行の評価は下がる。このトレードオフをどう解消すればよいのだろう。
実は、僕もコンサルタントとして数回、同じような状況に出くわしたことがあるが、この判断は難しい。おそらく、分析的に考えても答えはでない。決断をしなくてはならない。
この小説の中で佃航平の部品供給を申し出るという決断の背中を押したのは、メインバンクから出向している部長の「10年先にどちらがよいかを考えよう」という一言だった。まさに、そういう決断なのだ。
この決断の背景にあるのが、
「一階に現実、二階は夢。そんな人生を僕は生きたい」
という考え方だ。特に中小企業であれば、夢だけでは生きていくことができない。現実に迫られる。しかし、同時に夢を持たなくては成長できないし、未来もない。じり貧になって、いつか消滅するだけだ。これを2階建てにすることによって、両立することは頭で分かっていても中々できることではない。
実は大企業でも最近はこの問題を抱えている。ビジネスのサイクルが早くなって、現在の利益と将来の収益源の確保を両立させないとやっていけない。この本はそのようなマネジメントにヒントを与えてくれる。プロジェクトを企画する立場の人や、プロジェクトマネジャーに読んでほしい小説である。
コメント