究極の選択をする
ケビン・メイニー、ジム・コリンズ(序文)(内田和成解説、有賀裕子訳)「トレードオフ―上質をとるか、手軽をとるか」、プレジデント社(2010)
お奨め度:★★★★
事業や商品の戦略を上質さと手軽さの「トレードオフ」という視点から論じた本。いろいろな原因によって成功したり、失敗したりする戦略を、トレードオフで分析するというのはおもしろいし、読んでいく内に、意外と有意義なのではないかと思える一冊。マーケティングだけではなく、制度やプロセスの設計にも使えるフレームワーク。制度やプロセスには、あまり有効な評価のフレームワークがないので、むしろ、マーケティングより有意義かもしれない。
フレームワークはシンプルで、上質か手軽かを5つのコンセプトから考えていく。
まず、最初は上質と手軽さの対比である。消費者は絶えず上質さと手軽さのどちらか一方を選び取っている。上質さは断片的なものではなく、経験全体を指す。上質さは
経験+オーラ+個性
という足し算で決まる。これに対して、手軽さは
入手しやすさ+安さ
の足し算で決まる。
次に考えなくてはならないのは、テクノロジーの進歩である。テクノロジーの進歩は上質さと手軽さの両方を着実に押し上げる。テクノロジーが進歩することにより、上質さが上質ではなくなり、手軽さが手軽ではなくなる。
そして、テクノロジーに見合った改善をしない商品やサービスは不毛地帯に飲み込まれる。上質さと手軽さのどちらも秀逸でない商品やサービスになるからだ。
では、上質さと手軽さの両方を追いかけるとどうなるか。上質さと手軽さの両面で卓越するのは難しく、幻想(ミラージュ)である。二兎を追うもの一兎を得ずになる。多くの企業が幻想を追いかけて失敗をしている。
一方で、上質の頂点と手軽の頂点を極めることが勝ち組になる条件になっている。
以上の5つ以外にも考えるべきことがある。一つは、社会的価値である。上質さや手軽さがまったく同じ場合に、社会的条件を加味することで条件が期待が変わってくる。例えば、ティーンエイジャーはiTuneの99セントには高いといい、携帯電話の着メロは3ドルでも支払う。iTuneの音楽は一人で聞くものだが、着メロは相手に自分の音楽の好みを知らせることになり、社会的な価値を持つからだ。
二つ目は、市場の破壊と創造である。ときに、新しい商品が市場を破壊し、新しい市場を作り、上質さと手軽さの選択を一変させることがある。例えば、デジカメだ。デジカメは当初はフィルムカメラと競合していたが、やがて、フィルムカメラの市場を破壊し、デジカメの中で上質さで勝負するハイエンド、手軽さで勝負するローエンドと、双方の機種が市場を牽引するようになってきた。
上質と手軽の天秤は商品や事業を捉える上でどう役立つのか?この本では、書籍の購入を例にとって説明している。本を買う際に上質の経験とは例えば、人がなんとしてでも訪れたいと思う奇抜な個性と優れた経営で知られる書店である。日本でいえば、青山ブックセンターなどがそうだ。ありきたりの書店とは一線を画し、社会的価値を持つ。青山ブックセンターで本を買ったといえば、趣味の良さを相手に印象づけることができる。
一方で、手軽さの頂点はアマゾンである。アマゾンによって、家から一歩も出ることもなく、本を買うことができる。おまけに、ワンクリック、読者レビュー、割引き、無料配送などのサービスを提供してくれ、この上なく便利である。
次に不毛地帯について。手軽でも上質でもない商品は不毛地帯に陥る。例えば、ブルーレイ。DVDなどの従来の商品と比べて手軽なわけではない。かといって、多少の質の差はあるものの、上質というわけでもない。ブルーレイでDVDではできない上質の体験ができる可能性はないので、DVDと入手しやすさ、価格で肩を並べたときに初めて品質の違いで不毛地帯から脱出できる。
また、上質さで成功した企業が、手軽さも求めて失敗した例として、Coachをあげることができる。Coachはラグジュアリで地位を確立していたが、これだけに飽きたらず、身近なラグジュアリとしてマスマーケット向けのデザイナーズバックを提供し、ラグジュアリのブランドイメージを壊して低迷した。
上質さの頂点を極めるには、とにかく欲しいと思わせる商品を創り出すことが必要である。例えば、ルイ・ヴィトンのバック、自然食品小売りのホールフーズ、シンガポール航空のファーストクラスなどである。
その中でオーラをたよりに上質さを出そうとする戦略はいつの時代も多く見られる。しかし、オーラを頼った上質さは移ろいやすいことに注意を要する。例えば、クロックス社のサンダルがその例である。市場が拡大し、売上げが増すに従って、オーラが威力を失い、上質さを失っていくことになる。
一方で、手軽さを極めた商品は薄利であるが、たくさん売れる。しかし、そのようになるには、いくつかのハードルがある。まず、供給者自身が手軽さを理解できるとは限らない。例えば、銀行ATMに対して、銀行の幹部は「ユーザが信用してくれるか」という視点から懐疑的だった。
また、手軽さを極めるには長い時間が必要である。上質を極めるには、そんなに時間がかからないが、手軽さを極めるには、大量販売が求められ、長い時間が必要になる。
新しい商品は不毛地帯からスタートし、這い上がってくる。しかし、すべての商品が不毛地帯から脱出できるとは限らない。商品の中には、奈落の底に落ちるものもある。その例がコダックのデジタルカメラである。コダックは早くからデジタルカメラを発明していた。しかし、フィルムのビジネスを守るために、それを活かすことができず、結局、フィルムもデジタルも不毛地帯に落ちてしまう。
今、同じようなポジションにあるのが新聞である。ウェブニュースに売上げを奪われ、リストラを行い、ニュース媒体としての質を落としている。この奈落から這い上がるには、紙媒体を止め、優秀な記者をウェブ媒体に集中することが必要であろう。
上質さと手軽さを天秤にかける当たって、イノベーションの役割をどのように評価するかが重要である。この問題については、ワークステーションのOSの競争の例が興味深い。性能では劣るマイクロソフトのOSに顧客を奪われるようになったIBMはAIXというOSで高価格、高品質の上質路線を進もうとした。これに対して、マイクロソフトやサンは、IBMのやや下においしい市場があることを見いだしていた。そして、その市場を獲得していった。このように上質な商品がいくつかあれば、顧客はその中の手軽なものを選ぶ。逆に手軽なものがいくつかあれば、その中で上質なものを選ぶ。ここに、イノベーションの本質がある。
上質さと手軽さを天秤にかける際には、結局のところ「戦略」が重要である。何を捨て、何を残すかだ。新聞の例でいえば、若者を引きつける努力を止めるべきだ。いくら努力をしても身を結ばないからだ。逆に中高年からは手軽なニュース源として重宝されるし、その意味で紙媒体を残すというのは理に中っており、市場の地位を一層確立することにもなる。一方で、このような戦略をとると市場が縮退していく。そこで、若者向けにはウェブニュースを提供せざるを得ない。戦略的に上質さと手軽さを選んでいくことが重要である。
以上のようにこの本では、戦略策定において、上質と手軽というレンズを通じて、何を残し、何を捨てるというトレードオフを解消すべきだといっている。成功/失敗を含めて、全部で100社以上の事例が取り上げられているが、このような発想自体が「手軽さ」に舵を切ったものだと言える。その意味で、ジム・コリンズの提唱するトレードオフがいろいろな企業で活用される必要がある。ぜひ、結果を知りたいものだ。
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