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2010年3月 8日 (月)

温故知新の課長論

4872904494 佐々木 常夫「そうか、君は課長になったのか。 」、WAVE出版(2010)

お奨め度:★★★★1/2

リーダー向けの啓蒙で人気を博する東レ経営研究所の佐々木常夫社長の新作。石田君という、自身が課長だったときに新入社員で入ってきた後輩が、新任の課長になり、その後輩へのアドバイスの37の手紙という形で書いている。これは、著者が僕も座右の書の一冊である「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」の愛読者だということだからだとのこと。

読んでいるうち、文脈でしか伝わらないことをこの舞台装置を使って伝えており、非常に巧みな方法である。その意味で、最近、増えてきた課長本の中では、よい意味で異色だといえる。

課長になりたくないという風潮がある中で、多くの課長本が出版されはじめている。多くの本がスキル本であるのに対して、この本は、「課長ほどおもしろいポジションはない」と断言し、また、「志やパッションがあれば、スキルはあとからついてくる」と訴えている。

課長という仕事の難しさは、部下の能力や考えのばらつきにあるという。部長になると相手は課長であり、ある意味で選別された人たちである。城 繁幸さんによると、課長になれるのは3割だと言うことで、二八の法則から考えても、3割という数字は世の中的には相当優秀な人材の集合だといえる。

城 繁幸「7割は課長にさえなれません」、PHP研究所(2010)

ところが課長の部下は文字通り玉石混合であり、玉も石も使いこなすのが、課長の責任だという。つまり、部長や事業部長以上に、誰に何をさせるかというマネジメントの妙味があるのが、課長だというわけだ。

その上で、佐々木さんが課長をおもしろいポジションだというのは、「部下の仕事に手をつっこむ。それができるのは課長だけ」という認識にある。ただし、この意味は短絡的に「手を出す」という解釈をしてはならない。別の文脈では、課長になったら、プレイングマネジャーを目指さずに、課長に徹しろといっている。手を突っ込むけど、手を出さない。この一見、矛盾するように見えるところに、課長という仕事のおもしろさがあるということだろう。

もう一つのおもしろさは、部下の人生にコミットすることができることだという。部下と一生のつきあいになることもあるという。課長を単なる役割を超えて捉えている。これは賛否両論があると思うが、佐々木さんはロールでなく、人間関係だと捉えても問題が起こらないような配慮をされていることが37のいくつかの手紙を見れば分かる。佐々木さんが考える課長に要求されている仕事は

・方針策定
・部下の監督と成長
・コミュニケーション業務
・政治力

であり、その上に人間関係があり、そこで人生にコミットしているという合理的な考え方をしている。

佐々木さんは、1944年の生まれなので、ちょうど、僕が三菱重工に入社した時期に課長だったのだと思う。この本を読んでいて、当時の直属の上司の課長の行動を思い出し、なるほど、こういう考えなのかと、思い当たることが多かった。そんなこともあって、最初は古いのではないかと思いつつ読み進んでいったが、決してそんなことはなく、課長とマネジャーの良いところ取りをしたような人材像と具体的なアクションを提案している。温故知新の課長論である。

前作の「部下を定時に帰す仕事術~「最短距離」で「成果」を出すリーダーの知恵~ 」の多くが、課長としての経験から生まれていることが分かる。今回は、「課長」というポジションにスポットを当てて、具体的な行動を示唆されている。その意味で、人間味が加わって、非常によい感じの一冊だ。


 

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