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2013年12月30日 (月)

「イノベーションのジレンマ」以上のインパクト

4334929176楡 周平「象の墓場」、光文社(2013)

お奨め度:★★★★★+α

世界的なエクセレントカンパニーであるコダックをモデルにしたと思われるグローバル企業ソアラ社の日本法人を舞台にした小説。資本主義、企業文化、価値感、イノベーション、技術、組織と人などについて非常に深く考えさせられる一冊。

小説と調査に基づく学術書を比較すべきではないことは重々承知しているが、クレイトン・クリステンセン先生の「イノベーションのジレンマ」以上のインパクトがあった。

特に、小説(ストーリー)という形でしか書けないと思われる全体の構造が見事に書かれており、現場で起こる現象がなぜ起こっているかを、断片的なステレオタイプの指摘ではなく、コンセプチュアルに把握できる。イノベーションや変革に携わっている方すべてに強くお奨めしたい。


今年の企業の出来事でインパクトがあったのは、コダックの倒産だ。コダックが倒産したときに、フィルムのビジネスモデルから抜け切れなかったと論評されて いた。それはその通りなのだが、1970年代初頭に2010年にはフィルムは無くなるというシナリオを描き、デジタルカメラを世界で最初に製品化した企業 でもある。さらにいえば、80年代にはケミカル事業というくくりで製薬会社を買収し、多角化を図っている(この小説のソアラ社もそのように設定されている)。こういう いくつかの事実を加えるとコダックの倒産はどう見えるのだろうか?

小説の中でソアラ社が歩んでいったのはイノベーションのジレンマそのものである。簡単にいえば、銀塩写真の品質を追い求めて、銀塩写真を起点にしたデジタル化戦略を実行しているうちに、銀塩フィルム市場そのものがデジカメでなくなってしまったというストーリーだ。

ポ イントはいくつかある。まず、最初に挙げたいのはフィルム市場が消滅するというシナリオに基づき、デジタル事業に着手するが、既存のビジネスモデルに捕らわれていること。フィルムは世界的にみて、寡占的な市場で、4社で独占している上に、ソアラ社は圧倒的なシェアを持っている。このフィルムのビジネスモデルが当時は秀逸で、1ドルで70セントの利益が出るというモデル。デジタル化の中でそのビジネスモデルを維持しても、1ドルで5セントの利益しか得られない。いくらコスト削減してもこれでは経営が成り立たない。

そこまでビジネスモデルに拘った理由は、2つある。一つは危機意識のなさ。2010年フィルム消滅シナリオが社内に公表され、研修などでマインドセットを変えようとしてもフィルムがなくなるという実感が持てなかったこと。21世紀に入って、市場規模が年率で 10%下がっても、まだ、銀板写真が消えると思わない社員が圧倒的に多かった。

もう一つはプロはデジカメなど使わないという思い込み。実はプロこそ、自分の仕事の道具として役立つものはいち早く使うんだということがサイドストーリーとして書かれている。

二つ目の理由は、ひとつ目の理由と深く関係するが、ビジネスモデルを変えようとしていないため、すべてのデジタル化施策がフィルムが起点になった技術開発に 終始していること。移行期だということで、銀板写真を自社の提唱するフォーマットのデジタルデータに変え、デジタルを家で見るというビジネスモデルでしか 展開を考えていない。さらに、そこにコンテンツを増やしていこうとしているが、まさに砂上の楼閣である。

三つ目はビジネスモデルよりもっ と大きな話で、「写真」という既存の概念(コンセプト)に捕らわれていること。つまり、写真はみんなでみたり、保存したりという発想から最後まで抜け出て いない。小説にはないがコダックが消えたのと、日本でソアラ社の参入を防いでいた富士フィルム(小説では東京フィルム)が新しい写真のコンセプトに順応し たのを比較すると対照的である。

四つ目はグローバル経営の失敗。本社の鶴の一声で戦略が変わる。日本だけが競合に後れをとっていることか ら本社直轄の研究所すらもあるとき即時撤退し、当時に日本ではありえなかった大量の内定取り消しという事態にまで及ぶ。日本ではこれだけで企業イメージは アウトだと思うが、それが分からない。

象徴的なのはプリクラだ。実はプリクラもアイデアそのものはソアラ社のデジタル化戦略の一つから生まれたものだ。しかし、ほぼ製品としては開発が終わったタイミングで、本社の戦略が変わり、結局、日本では他社が同じようなものをつくり、大きな市場を作った。

こ ういったグローバル展開の失敗の根底にあるのが投資家至上主義である。初期のデジカメ自体がそうだし、そのあとの製薬企業の買収、各種のデジタル化戦略な ど、すべて投資家への配当にしばられている。そのために非常に厳しい業績管理が行われているので、短期決戦である。短期決戦で結果が出ない施策は中止せざ るを得ない。

折角、70年代に秀逸なシナリオを描けていたにも拘わらず、結果として何もできなかったもっとも直接的な理由はこれだ。この 小説によると、日本でカシオがQV-10を出し、デジカメが普及してきても、グローバルには90年代は銀板フィルムの売上げは伸びている。従って、そちら が主体になる。まさにイノベーションのジレンマが起こっている。クリステンセンのイノベーションのジレンマには株主の話が軽くしか出てこないが、資本主義 の中でこの影響は大きいものがあるのだと思う。

この小説の主人公・最上栄介はこのような企業の中で90年代から奮闘したミドルマネジャーである。そして、最後はソアラに見切りをつけてナイキらしきスポーツ用品メーカに転職するが、その際に転職エージェントに指摘される。

「あなたは長年フィルムの衰退を知る立場にありながら、こうなるまで会社を捨てられなかった。管理者失格だ」

あなたなら、なんと答えますか?

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