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2009年8月 2日 (日)

和洋折衷のプロジェクトマネジメント

(2009/04/30)

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    記事広告:和洋折衷のプロジェクトマネジメント

      エムアンドティコンサルティング 好川哲人

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◆なぜ、商社が成り立つのか

PHPから発行されている雑誌「Voice」から、雇用問題をテーマに記事を選んで一冊の本が発行された。

「クビ切り不要!」

という本だ。

この中に、伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎氏と東京理科大学教授の伊丹敬之先生の対談記事が採録されている。「人を大切にする経営」という記事。伊丹先生は一橋大学の時代から、人本経営を説かれている方である。

この記事がたいへん、おもしろい。この中に、総合商社に関する伊丹先生のこんな発言がある。

商社という組織の経営がなぜ成り立つかというと、まさにチーム力があるからです。
アメリカ型の「あなたの役割はこれ」と、仕事を分解していくようなやり方では、とてもできません。それこそ、人のつながりを大事にして、安定的にやっていくからこそ、組織全体が発展する。これは商社に限らず、製造業も銀行も皆一緒でしょう。
(同書、22p)

これに対して、丹羽さんが答える。

じつは伊藤忠商事で昔、日本の商社と同じものをアメリカにつくってほしいと頼まれ、人を派遣したことがあります。ところが絶対に成功しない。彼らは個人主義ですから、隣の人と同じチームでやれといってもどうもうまくいかない(同書、22p)

なるほどと思った。

総合商社は、日本が世界に誇るビジネスモデルである。このやりとりを読んで、ずっと昔から、もやもやしていた2つの疑問が氷解したような気がした。

◆日本ではチームは「前提」である

一つ目は、日本組織はチームマネジメントを必要とするのか?という疑問。必要だという理由はいくらでもある。生産性向上、グローバル化、ダイバーシティマネジメントなど。

これらはいかにももっともらしいが、よく考えてみると、手段に過ぎない。では、目的は何かと考えてみると

・チームや個人の生産性や創造性を高める
・個人のワークモチベーションを高める

の2つでだろう。チームマネジメントはこのために、多様性を高め、お互いに考えを認め合うことである。

総合商社を考えてみると、日本では実はこれらはすでに達成されていたのではないかと思えるのだ。よく日本人は画一性を求めるといった批判を聞くが、これはおそらく正しくない。たとえば、宗教。宗教を巡って100年間も戦争するような発想もないし、飛行機でビルに飛び込むような行動もとらないだろう。

すべてを認めるのだ。

ただし、日本人の認める態度は、若干、ややこしいだ。認めていることを宣言するものではなく、とやかく言わないという認め方だ。よく考えてみると、とやかく言わないというのは最大限の敬意を払っているのかもしれない。少なくとも、日本的なコンテクストを共有する社会の中では、最大限の敬意を払っていることになるのは間違いない。

ここを問題視する人もいる。認めるというのは、そのことを宣言して、積極的に協力することだというのだ。リーダーシップ論の基本的な話だが、これも正しいと思うのだが、同時に、日本企業のビジネスパーソンの行動はそんなに単純ではないとも思う。

たとえば、プロジェクトマネジャーの考えには共感できないが、組織のためのプロジェクトを成功させなくてはならないという思いが強く、計画を無視してでも、現場調整し、プロジェクトを何とかしようとするタイプのメンバーがいる。プロジェクトマネジャーもそれでうまくいきそうだとしたら認めてしまう。

このような現場こそが企業の足腰であるが、内部統制によって足腰が弱ってきた。この世界には一見、統制だとか、権限委譲だとかといった話はないようにみえるので、内部統制が大好きな人は、そんなやり方では世界に通用しないという。そもそも、世界に通用するといって並びたがる発想が日本的であると思うのだが、ここではそれはさておき、この解釈は正しくない。

実はこのようなスタイルの活動はきちんと統制されている。米国の考え方は統制の単位が個人である。この感覚が日本人には合わない。なぜなら、伊丹先生や丹羽会長の指摘からもわかるように、日本企業は「チームが前提になっている」からである。チームに対しては責任は明確であるし、責任感も強い。このガバナンスマネジメントのあり方こそが、日本企業の強みである。

このような活動はPMBOKの枠組みでは整理(統制)しきれないように思うかもしれないが、実は整理できる。

教科書的には正しくないが、WBSとワークパッケージ、OBS、RAMという仕組みは実によくできた仕組みで、個人を管理するだけではなく、チームを管理するための仕組みとしても使えるようになっている。

余談であるが、大学院に通学していた頃に、個の自立を説く金井先生にチームで管理するという話をしたらまったく理解して頂けなかったことがある。確かにこういう枠組みを設定すると、米国流のチームとは違って、チームの中では自然と年長者を敬うとかいう雰囲気が出てくるし、それをよしとしない人もいる。しかし、それは子供が大人になっていくためのプロセスに過ぎない。年長者には知恵と人脈がある。若い人には行動力や思考力という武器がある。それを一つの単位として考えるというのは究極のダイバーシティマネジメントである。

これが自然にできているのだから、当然のことながら、改めてチームをうまく動かすにはどうすればよいかなどといった議論がされる余地はないだろう。

ただ、この10年くらいの過度の米国流マネジメントの導入によって、「チームが前提」というパラダイムが崩壊して、個人主義に移りつつあるのも事実だ。だから、今更という人も多いが、そんなことはない。この点については最後に触れる。

◆日本ではすりあわせも「前提」である

もう一つ。プロジェクトマネジメントのスタイルに関する議論だ。伊丹先生は、かねてより、日本企業の強さはチームによるすりあわせにあると指摘されている。この逆がパソコンに代表される水平分業である。

パソコンをみている限り、水平分業は価格優位性を保つための手段である。それ以上ではない。問題はプロジェクトに水平分業を持ち込むことが好ましいのかという点だ。

現実をみている限り、永久に欧米には追いつけないだろう。その象徴はITだ。かつて、日本企業はプロジェクトマネジメントでIBMに10年の遅れをとっていると言われていた。IBMは現場マネジメントからすでに次のフェーズに移っており、日本企業も現場は似たようなレベルになってきたが、その距離は依然として縮まっていないような気がする。やはり、10年遅れている。

何が始まっているかというと、組織的プロジェクトマネジメントによって一旦、水平分業されたプロジェクトの仕事をすりあわせて行くような動きが見られる。一つのプロジェクト内をみてもそうだし、プログラム内の複数のプロジェクトをみても同じだ。

問題はこの議論の行き着く先だ。チームマネジメントの行き着く先は上に述べたように日本型のマネジメントだと思う。センゲなどの示唆は明らかにその方向を向いている。

では、プロジェクトマネジメントが行き着くさきはどこか。幻想かもしれないが、日本型のマネジメントではないかと思えて仕方ない。

◆周回遅れを先頭だと思っていないか?

伊丹先生や、神戸大学の加護野先生などは、ばりばりの日本型経営信奉者である。彼らは学者なので、うまくいっているからよいという議論をしているわけではない。そこに何らかの合理性を見いだしているわけだ。

そしてその合理性を共有するために、日本式経営の形式化に取り組んでいるように見える。お二人ともキャリアの終焉が近いが、彼らのキャリアをかけて取り組んできたことがやっとメインストームになる「芽」が出てきたように思う。

そこには、日本流の合理性と、米国流の合理性の折衷があるように思える。

そう思うと、チームマネジメントしかり、プロジェクトマネジメントしかり、日本は周回遅れの相手の後ろ姿を追いかけているような気がして仕方ない。追いかけるのではなく、立ち止まって、体力を強化することが必要なのではないか?

そんなことを感じる、実業界と学会の巨頭の対談である。

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