【PMstyle Column:005】ソフトウエア認識論
ソフトウエアというと多くの人はコンピュータ上で動作するソフトウエアを思い浮かべると思う。ただ、ソフトウエアの現代的な定義はさまざまで、日経BP社の日経BPイノベーションICT研究所の谷島宣之上席研究員は
「ソフトウエア、それが問題だ ~ Software matters」
という記事の中で、ソフトウエアの定義について狭義にはコンピュータのソフトウエアだとした上で、
「ソフトウエアはハードウエア以外の何かに対しても使われるようになった。例えば政治体制、軍事、何らかの国際取引を利用するための規則、手順、方法、教育などがソフトウエアに該当する。政治体制、軍事、取引といった仕組みや組織、制度がハードウエアのような位置付けになり、それらを使いこなすために必要な諸々がソフトウエアということになる。」
と述べている。
もう一つ重要な例を挙げよう。最近のビジネスでは製品の機能や性能は訴求点にはならず、問題はその製品でユーザにどういう体験を与えることができるかだと認識されるようになってきた。
この場合、製品はハードウエア、体験がソフトウエアという位置づけになっている。たとえ、その製品がコンピューター上のソフトウエアであったとしてもだ。
このようにソフトウエアとハードウエアは相対的なものであるというところが現代においてソフトウエアを語る際の一つのポイントである。
このような認識は非常に大切である。谷島さんはソフトウエアには広義と狭義があり、狭義のソフトウエアは「コンピューターソフトウエア」と呼ぼうといっている。
◆コンピュータ用語以外でのソフトウエア
コンピューター用語としてソフトウエアという言葉が発明されたのは1950年代後半であるというのが通説になっているが、日本のソフトウエア工学の第一人者である玉井哲雄先生によると、ウェアというのは細工物,製品といった意味で、オックスフォード辞典では,1850年代の用例として
「ごみ収集の分類ではさらに,ソフトウェア(soft-ware)とハードウェア(hard-ware)と呼ばれるものの区別は重要だ.前者はあらゆる野菜と動物関連のもの,すなわち腐敗するもの」
という用例が示されているそうだ。
この用例はごみ収集だが、本質を突いているように思える。つまり、ハードウエアは腐らないが、ソフトウエアは腐るのだ。言い方を変えると、ソフトウエアは常に陳腐化していく。だから、陳腐化しないように常に変化しなくてはならない。
それによって、全体としては長く役立つ。ここがソフトウエアとハードウエアに分けて考えるポイントでもある。
◆ソフトパワーとソフトウエア
ソフトとハードといえば、外交においてジョセフ・ナイが唱えた「ソフト・パワー」という概念がある。
これは、国が軍事力や経済力といったハードパワーに頼らず、その国の有する文化や政治的価値観、政策の魅力などに対する支持や理解、共感を得ることにより、国際社会での地位を確立する力のことである。
ジョセフ・ナイはソフトパワーを政治だけではなく、社会活動一般に必要なものだとし、
ソフト・パワーとは、説得や心をつかむことで影響力やリーダーシップを行使する能力のことで、それらが強制ではなく支持や共感にもとづいていることを指す
と定義している。
広い意味でソフトウエアとはソフトパワーの源泉になるものである。今年はこのような意味でのソフトウエアについて情報発信をしたいと思っているので、ご期待ください。
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