エンジニアがよいプロジェクトマネジャーになること(トランジション)は意外なくらい難しい。この記事はエンジニアの仕事とプロジェクトマネジャーの仕事はどう違うのかを明確にした上で、トランジションの障壁になっているものを整理し、どうすれば変わることができるのかを、著者のコンサルティング経験に基づき、整理したい。
プロジェクトは課題を設定し、解決する活動である。この中でプロジェクトマネジャーの仕事とプロジェクトで働くエンジニアの仕事は本質的に異質なものである。エンジニアの仕事は課題解決の仕事であり、自分自身の力で成果を上げる仕事である。これはチームを率いるチームリーダーの場合も、変わらない。自らが中心になり、チームメンバーを指示しながら課題を解決し、成果を上げる。
これに対して、プロジェクトマネジャーの仕事は、チームメンバーを通じて成果を上げることである。そのために、プロジェクトマネジャーは、課題解決ではなく、メンバーの行う課題解決が経営的な成果につながるような課題の「設定」を求められる。課題解決自体はメンバーが行う。このように、似ているようで全く異なる仕事である。
【2】なぜ、変われないのか
エンジニアからプロジェクトマネジャーへのトランジションの最大の阻害要因になっているのは、課題設定の仕事ではなく、課題解決の仕事をしていることにある(これは、エンジニアとプロジェクトマネジャーの違いを認識できないという問題でもある)。この阻害要因は、仕事の評価の考え方など、組織や制度の問題に起因する部分も少なくないが、プロジェクトマネジャー個人の問題として捉えると、3つの大きな問題により起こっている。「決めれない」こと、「任せられない」こと、そして、「動けない」ことである。
これらの問題の根本原因は、「言われたこと」をやるというプロジェクトマネジャー自身の受け身のスタンスにある。つまり、「プロジェクトは自らが何かを実現したいために行うものだ」と考えず、「プロジェクトとは与えられた課題を実現するものだ」と「考えている」、あるいは「考えておきたい」というプロジェクトマネジャーのスタンスにある。
「考えている」プロジェクトマネジャーの問題は思考停止に陥っていることである。「考えておきたい」プロジェクトマネジャーの問題は、責任をとりたくないとか、失敗をしたくないといった心理を持っていることである。いずれにしても、自ら課題を「決める」ことができず、上位組織や顧客から与えられた課題をそのままプロジェクトに受け流している。
課題を決めることができないと、メンバーと同じ土俵、つまり課題解決としてものごとを考えようとする。特に顧客相手の課題解決に注意がいく。課題解決は経験がものをいう仕事であるので、当然、メンバーよりプロジェクトマネジャーの方が能力が高い。そこで、自然とメンバーのパフォーマンスに不満をもち、失敗しないように「指導」をする。つまり、失敗を恐れて任せることができないので、メンバーが育たず、いつまでも指導は完結しない。また、メンバーにも言われたことしかやらない風潮がはびこる。結果としていつまでも「任せることができない」という悪循環に陥る。
さらに、任せることがでいないと、時間的余裕がなくなり、「考えられない」、「動けない」という状況が生じる。ここにもう一つ、「決めれない」ことに起因する問題が絡んでくる。仕事の優先順位づけが定義できないことだ。課題を明確に決めることができないので、仕事の優先順位を決める基準がない。このため、時間がない中で、不適切な優先順位により仕事をしていき、「アクティブノンアクション」=一生懸命仕事をしているのに成果が出ないという状況に陥る。もちろん、プロジェクトも、アクティブノンアクションになる。
【3】どうすれば変われるか
このような問題を乗り越え、エンジニアがプロジェクトマネジャーに変わっていくためには、適切なトランジションプロセスが必要である。ウィリアム・ブリッジズという経営学者が、トランジションのステップとして
第一段階:何かが終わる時
第二段階:ニュートラル・ゾーン
第三段階:何かが始まる時
の3つの段階からなるステップを提唱した。これは、おそらくトランジションの明確なステップを示した唯一の理論である。
この理論を応用して、エンジニアからプロジェクトマネジャーへのトランジションプロセスを考えてみよう。これまでのコンサルティングの経験から、そのプロセスとしては、
第一段階:エンジニアとしてのキャリアを終える
第二段階:マネジャーとしてのキャリアに必要なものを、プロジェクトマネジメントの活動の中で探していく
第三段階:プロジェクトマネジャーとしてのキャリアを始める
が有効である。
多くのプロジェクトマネジャーは、第一段階を経ないで第二段階に進んでいこうとし、上のような苦労している。もう一度、第一ステップを踏む、つまり、エンジニアとしてのキャリアを明確に終了することが重要である。このためには、エンジニアとしての考え方、発想を捨てることだ。たとえば、著者のキャリアコンサルティングの経験では
・すべてを自分の手の内に入れるという発想を捨てる
・ものごとは計算通りに行くという発想を捨てる
・問題を技術的に解決するという選択肢を捨てる
・時間と成果は比例するという発想を捨てる
・品質がすべてに優先するという考え方を捨てる
・顧客がすべてに優先するという考え方を捨てる
・100%やらないと意味がないという考え方を捨てる
などを捨てることが有効である。エンジニアであったことを過去とする。これができない限り、プロジェクトマネジャーとしての新しいやりかたを身につけることはできない。
その上で、第二段階では今、行っているようなトレーニングや経験をしていく。この中では、実際にプロジェクトマネジメントを経験してみて、何が必要であるかを自分自身で考えることが求められる。同時に、上に述べた「決める」、「任せる」、「動く」という基本スキルを身につける必要がある。そして、タイミングを計って、プロジェクトマネジャーとしてのキャリアを始めることをお奨めしたい。
◆ダムを造ることが目的なら、プロジェクトを中止する理由はない
ダム建設中止の是非が大きな問題になってきた。住民は、今の「中止ありき」で協議をしていくという方法に激しく反発している。
ダムのプロジェクトではダムを造ること自体を目的にしているわけではない。たとえば、熊本の川辺川の場合だと、ダムを造る目的には、治水、水源(かんがい)、発電の3つの目的があるとされる。時代が経てば、状況が変わり、目的が消失することがある。当たり前の話だ。3つある目的のうちの治水だけが残っている。
当然、投資対効果が変わってくるし、目的が変わるということはプロジェクトとしては仕切り直しをすることを意味する。しかし、仕切り直しをすることなく、40年継続された
この問題の構図ははっきりしている。戦略的にプロジェクトを進めようとせず、「実行ありき」なのだ。目的というのはある意味でどうでもいいのだ。ある意味というのは、必要ないというとではない。「実行ありき」で、目的は実行するための「理由」に過ぎないということだ。従って目的が変われば、仕切り直しするという理由はない。
つまり結果としてか、確信犯かは別にして、ダムを建設すること自体が目的だったということになる。
よく走り出したプロジェクトは中止できないというが、目的が「ダムを造ること」だとすれば、中止する理由などないわけである。この点をよく押さえておいてほしい。
◆ビジネスプロジェクト
実はビジネスプロジェクトでもこのパターンは非常に多い。目的に
・商品を開発すること
・システムを開発すること
・売り上げを上げること
といったものを上げているビジネスのプロジェクトは、ほぼ、ダムと同じパターンだ。三番目は微妙だが、とりあえず、止めなければ目的が達成できるということを考えると同じパターンだといえよう。
このパターンに陥ると、そのプロジェクトを中止することはできない。特に、SIや建設のように社外の顧客がプロジェクトオーナーのプロジェクトは、中止できない。
逆にいえば、中止するには、正しい目的を掲げ、目的のレベルで合意するようにすることだ。顧客のつくプロジェクトであれば、契約書の中でそれを謳い、中止後の処理についても明確にして、合意しておくことが必要である。
◆根本的な問題
もっと根本的な問題としては、そもそも、仕事の目的とはどのようにして達成されるかという話だ。
仕事と目的には、
仕事
→(生み出す)
サービス/プロダクト/・・・
→(実現する)
目的
のような構造がある。ダムでいえば、
ダム建設
→(生み出す)
ダム
→(実現する)
治水、水源(かんがい)、発電
という構造があるわけだ。この構図をみれば分かるように、目的が変わるということは、プロダクトも変わるし、仕事も変わる。当たり前の話である。
プロジェクトマネジメントというのは目的を達成するために、プロダクト(スコープ)や仕事を調整していくマネジメントである。
そんなことは分かっているという人は多い。しかし、実際にプロジェクトマネジメントとしてできている人は少ない。理由は様々であるが、共通の理由は分かっていないことではないかと感じることが多い。ダム工事の役人のように確信犯でやっている人は少ないように思う。
◆もっと根本的な問題
ではなぜ、確信犯でするか?
これは簡単である。やってきたことを失敗だと認めないためだ。
公共工事であれ、ビジネスであれ、中止と大赤字を比べると、大赤字の方が失敗としては小さいという考える。戦略性のなさのなせる業である。
であれば、簡単だ。失敗に対する対処、つまり、中止という判断のためのオペレーションを標準化すればよい。
]]>◆型と形
6月25日のPMstyle+メールマガジンの巻頭言に守破離(しゅはりと読む)について書いたのだが、短時間で簡単に書いたので、もう少し、詳しく調べて記事にしてみた。
どうも、守破離を論じる前の問題として、型とは何かという問題があるようだ。PMスタイルという型に関係するコンセプトを打ち出しながらいまさらの話で恐縮なのだが、いろいろと調べてみた。
東北大学名誉教授の源了圓先生は、型とは何かと考えるときに、形と型はどう異なるのか?がポイントだと指摘している。源先生によると、型を構成するものは心技体であり、
「型」とは、ある「形」が持続化の努力を経て洗練・完成したものであり、機能性・合理性・安定性を有し、一種の美をもっている。さらにそれは模範性と統合性を具えている。
【出典】http://www.sal.tohoku.ac.jp/80thanniv/minamoto.html
と指摘する。型が機能性、合理性、安定性、規範性、統合性というのは、分野に関わらず、型である限り必要な要素だというのは納得ができる。プロジェクトマネジメントで、米国プロジェクトマネジメント協会(PMI)により1987年に初めてまとめられたプロジェクトマネジメント標準と1996年にまとめられたPMBOK第1版を比較してみるとこれは非常によく分かる。
◆型とは家と間からなる
編集工学を唱える松岡正剛氏は、
型というものは、いろいろのものと一緒にある。一番わかりやすくいえば「家」と「間」とともにある。「家」は職能の伝統を守る門のことで、ここに家元も出てくれば、入門も破門も出てくる。
【出典】http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1100.html
と指摘する。
家は上の説明の通りである。日本人にはPMIを家だと見做している人が少なくない。違うと思うが、まあ、そう考えたい気持ちはわからなくはない。
◆間とステークホルダマネジメント
説明しにくいのは間である。日本人にとって、「間が悪い」などという言葉があるように、間という概念は浸透している。しかし、説明となると難しい。そもそも、間というのはなぜ必要なのか?
間について調べていたところ、やはり、源先生の指摘がもっとも納得できた。著者なりにまとめてみると、
間というのは心技体の心の部分に関わるものである。いろいろな間があるが、たとえば、能の世阿弥は父である観阿弥の教えを成熟させていく中で、本質的な美の追求と、観客を本位とした美の実現という異なる二つの方向性を、いかにして両立させるかという問題に行き当たった。そこで、静止してはいるが全身全霊がこもった緊張状態である「せぬ隙」を生み出した。ただし、そうした内心の精神的な動きを観客に知られては具合が悪いので、自分自身が自分の心を隠すことが必要だと考えた。これが「無心」であり、無心ができて、心技体が完成する
というのが源先生の見解である。プロジェクトマネジメントの型を極める中で、この間というは意外と重要ではないかと思われる。ステークホルダマネジメントの本質は間にあるのではないかと思うからだ。
◆型の成熟と守破離
このように型というのはいろいろな視点がある。このほかにの見方もあると思うが、源先生の指摘のように「形」の延長線上にあるのだと思う。つまり、型を極めるというのは、形から入り、型を覚え、型を破り、新しいものを作っていくプロセスということになる。
このプロセスを示したのは、守破離である。このプロセスを、守破離という言葉で表現したのは、江戸時代の茶匠、川上不白の『不白筆記』である。
川上不白の『不白筆記』では、
守ハマモル、破ハヤブル、離ハハナルと申候。
とある。また、川上不白は『茶話集』で
守は下手、破は上手、離は名人
とも記している。
この考え方自体は禅の考え方で、川上不白が影響を受けたのではないかと推察される達人がいる。ひとりは上で名前の出てきた世阿弥で、『風姿花伝』で「序破急」を説いた。もう一人は歌集『利休百首』にて、
規矩作法 守り尽くして 破るとも 離るるとても 本を忘るるな」
と説いた千利休である。いずれにしても、まず最初は型を守り、次に型を崩してみる。そして、最終的に型から離れるというプロセスである。離れるというのが若干イメージしにくいが、離れるというのは松岡正剛氏の家が重要な要素であるという説明を考えるとよく分かる。家を離れるのだ。家を離れたからといって好き勝手にやってよいという話にはならない。千利休のいうように「本を忘るるな」である。すなわち、本質を見失うなということだ。
◆プロジェクトマネジメントにおける守
この守破離のプロセスは、プロジェクトマネジメントにおいても、展開でき、有用なものであると思われる。
まずは、守である。教えられた型を徹底して学ばなければならない。この学びの中では形が出発点になる。形を覚え、そこから型の意味を学んでいくのだ。スキルを「身につける」とかいうのは、この段階をさす言葉で、ここでは教えが必要である。
プロジェクトマネジメント道では、PMBOKの型を覚え、PMPの資格を取るというのが王道かもしれないが、PMBOKにこだわる必要はない。ある程度の範囲で型と認めているものであれば、何でもよい。たとえば、企業独自の流儀とか、業界独自の流儀とかでもよいわけだ。
◆プロジェクトマネジメントにおける破
次の「破」はその身に付いたスキルをつかって、行動をすることだ。あまり使わない言葉だが、身につけるに対して、「身を働かせる」といってもよい。落語で芸を揶揄する言葉に「箱入り」というのがあるが、この段階で箱からでなくてはならない。そのためには創造性や工夫が必要である。そして行動において重要なことは、その行動による影響をきちんと認識し、感じておくことが必要だ。
プロジェクトマネジメントでいえば、PMBOKを覚え、実際にやってみる中で、現実に合わないところがあれば、変えていく。たとえば、プロセスのインプットやアウトプットを変える、ツールを変えるといったこと。あるいは、プロセスそのものを破ることも破だといってもよいかもしれない。
ここで重要なことは、実際に変えてみたときにどのようなことが起こったかをしっかりと観察し、型の持つ意味をしっかりと理解することだと思う。それが上手に型を崩すことにつながっていく。
◆離とはキャリアである
そして、「離」は自由自在に行動すること。しかし、本質を踏み外してはならない。
能や茶道のような求道的なものとは少し違うかもしれないが、マネジメントにおいてもやはり、この本質なるものはあると思われる。本質に行き当たるには、何のために仕事をしているのか、そして何のためにマネジメントをするのかというところがポイントになるのだろう。
それはたぶん、顧客のためであったり、社会のためであったり、あるいは自身のためであったりする。著者はビジネスの世界ではそこまでに積み上げてきたキャリアを活かして仕事をする、あるいはキャリアをかけて仕事をするといったことが、離に当たるのではないかと思っている。ここで重要なことは、自由に行動するということは、すなわち、自身のキャリアをかけているのだということをきちんと認識することである。
キャリアが型に変わると言ってもよいと思う。
型を持たないスタイル、キャリアをかけて仕事をするというスタイル。これが「ひとつ上のプロマネ。」の目指しているところである。
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